第38回 ハンビー

紹介者 島田 将喜


 今から20年も前にM集団から失踪したオトナオス、ハンビー(1980年生まれ)のことを私がよく覚えているのは、彼がもっとも識別の簡単なチンパンジーの一人だったことも一因だと思います。チンパンジーの顔面はアカンボウのうちは白く、成長するとだんだん黒くなり、オトナになると真っ黒になる、というのが普通なのですが、ハンビーはどういうわけかいくつになっても顔が白いまま、つまり童顔のままでした(写真1)。またハンビーの性格は穏やかで、上昇志向が低かったのか、私が観察していた2001年当時もオトナオスの中では順位が一番下でした。中村美知生さんは、ハンビーのことをダーウィンと並ぶM集団きっての「脱力系」キャラとして紹介しましたが、私も同じ印象をもっています(マハレ珍聞17号)。



写真 ワカモノ期のハンビー(撮影 中村美知夫)



 ハンビーは2002年2月13日を最後に、観察されなくなりました。最後に確認された場所はM集団遊動域の北のはずれに近い、Lwegele谷の付近です。この日ハンビーはしごく元気で集団の他のメンバーたちといつもと変わらずやりとりしていたことを私自身が確認しており、また特にM集団が大きな騒動が生じた様子はありませんでした。しかしともかくも14日以降の調査では、ハンビーだけが確認されなくなったのです。
 チンパンジーのオスが、長期にわたって集団や研究者の前から姿をくらましたとしても、必ずしも死亡したとは言い切れないという事例がいくつか知られています。M集団に隣接するK集団が1982年に消滅した後に、生き残ったワカモノオスのリモンゴは、長年たった一人、ひっそりと生活していました(マハレ珍聞第2号)。またM集団の第一位オスだったファナナは失脚後、失踪したものの、数年後に姿を現し、集団のオスとして復帰しました(マハレ珍聞第3号)。そういうわけでひと月経ってもふた月経ってもハンビーが姿を現さないことに気づいても、私はあまり気にはしていませんでした。日本の民法ではある人の失踪から7年以上経過するとその人は法律上死亡扱いされるそうですが、数年経っても姿を見せないハンビーもいつしか研究上死亡扱いとなりました。
 ハンビーの謎の失踪の原因を想像するとき、思い出されるのは最後の観察日の1週間前の2月6日のことです。私は、その日もLwegele谷に集まっていたチンパンジーたちの観察中、集団を抜け出してたった一人南に向かって歩き始めたハンビーに気づき、追跡していたのです。このときハンビーは仲間たちの騒ぎ声を背中に聞きながら、それを無視するかのように南に向かって一人歩き続け、途中道草を食い、のんびりと昼寝をし、あたかも自由を満喫しているかのようでした。その後、彼の失踪が明らかになってから振り返ると、そんなハンビーの気持ちが、私にも少しわかった気持になりました。ハンビーはオス同士、順位を巡る競争の激しいM集団内での生活を、ふと放棄して離脱したくなったのではないのか・・・。私は今も、老年にさしかかったハンビーがマハレの深い森のどこかで気ままに生活をしていて、いつかその白い童顔をまた私たちに見せてくれるかもしれないと期待しています。

(しまだ まさき・帝京科学大学)




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