12頭の精霊

花村俊吉

 カソゲの森のなかで、コホン、ゴホッと咳をするチンパンジーが現れたのが2006年6月のはじめでした。それからは森に出かけるたびに新たに咳をして鼻水をたらしているチンパンジーに出会うようになり、やがて、熱にうなされているかのように地面にうつぶせにうずくまってしばらく動かなくなるチンパンジーも現れました。マハレMグループチンパンジーのあいだに、インフルエンザ様の感染症が流行したのでした。

 6月26日、ついにおそれていたことが起きました。調査からの帰路、もう辺りは薄暗くなっていました。藪から観察路に流れてくる死臭に一人の調査助手が気づきました。山刀で藪をかりつつ死臭の出所を探し回りました。そこで目にしたのは、左手で倒木をつかみ、右手でつるをにぎったままうずくまって死んでいるレアというアカンボウの躯でした。私は呆然としてその場に立ち竦み、騒いでいる調査助手たちの声もほとんど耳に入りませんでした。気がつくと日も暮れており、私はひとり静かに彼女の傍らに腰掛けていました。

 このレアとともに、その母親であるルビーと姉のルビコンも一週間ほど前から咳、鼻水、地上でのうずくまりといった病気の症状を示していました。病状は次第に悪化し、特に幼いレアとルビコンは顔面蒼白でほとんど動かなくなっていました。そして数日前からは、母親に抱かれて移動する年齢であるレアを抱かずにルビーが移動しているのを観察していました。レアはこの病気に命を奪われたのでしょう。チンパンジーの母親は、アカンボウが死亡するとその亡骸を、長い時は3ヶ月にも渡って手放さず、ミイラ化したわが子を抱いて移動することが知られていますが、この時はルビー自身も病身で娘とはぐれてしまってそのまま二度と出会うことがなかったのでしょう。レアの死後しばらく、まだ病身のルビーが夜にベッドを作った後、ベッドのなかでフッフッ、クー、フーと小さく鳴いているのを何度か耳にしました。それは不在のレアへの呼びかけだったのかもしれません。

 病気の流行は7月までつづき、その間レア以外にも4頭の変わり果てたチンパンジーの姿を目にすることになり、その前後で行方不明になったチンパンジーは9頭にのぼり、最大で12頭ものチンパンジーが死亡したと考えられます。全ての死因がこの病気にあるとは断定できませんが、病気が流行したのは間違いのない事実。その感染経路はマハレに滞在する研究者・観光客・その他現地職員からである可能性は否定できません。私たちはマハレ野生動物保護協会の協力のもと大量のマスクを購入し、チンパンジーの観察中は常時着用するようにしています。観光客・その他現地職員にもマスクを配布し、観察時のマスク着用を徹底するとともにチンパンジーに近づきすぎない、病気のヒトを森に入らせないなど、二度と今回のような病気の流行が起こらないように努めています。

 今回の病気の流行中に行方不明になったチンパンジーにミヤ一家がいます。母親のミヤと今年産まれたばかりのまだ名もないアカンボウは2006年12月現在でも現れずその生存は絶望的ですが、一時はもうその生存をあきらめかけていたまだ幼いミツエと兄のミチオはしっかりと生きていました。本来なら母親と常時一緒にいる年頃のミツエが兄や同年齢の友達とその母親などの後を必死でついていく姿に私は強く心を打たれました。そのミツエの生きる姿に12頭のチンパンジーの精霊を見た気がしました。




図1: 死体となって発見されたレア (フィールドノートより)


写真1: アカンボウの死体を運搬するワクシ (撮影: 中村美知夫)


写真2: 母親のミヤがいなくなった後、兄のミチオ(左)を毛づくろうミツエ(右)

(はなむら しゅんきち、京都大学)




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