追悼 川中健二先生  中村美知夫


マハレでご一緒したときの川中先生 (1996年、カンシアナキャンプにて)

 マハレの、そして世界のチンパンジー研究のパイオニアのお一人である川中健二先生が2006年10月1日にご他界されました。63歳とはあまりにも早すぎる旅立ちでした。

 その訃報を聞いたとき、私は川中先生がその半生をかけて研究を続けてこられたマハレの地にいました。お具合が悪いとは伺っていましたが、きっとまたお元気になられるに違いないと信じていたので、あまりのことに言葉もありませんでした。

 その翌朝、いつもどおりカンシアナキャンプに集まってきたトングウェの調査助手たちにこの悪い知らせを伝えなければならなかったのは、私にとって何よりも辛いことでした。古参の調査助手たちは、川中先生とは長い付き合いで、それこそ本当に家族の一員のように思っていたに違いありません。若手の調査助手たちも、子供のときから川中先生のことを知っていて、川中先生にいろいろと教えてもらった人たちばかりです。皆一同に言葉を失い、頭を抱えこみ、しばらく呆然としていました。

 私が川中先生と最初にマハレでご一緒したのはちょうど10年前のこと。私が博士論文の調査で一年間マハレに滞在したときでした。先生はあまり口数の多い方ではなかったのですが、何も知らない私にキャンプの運営や調査の仕方などさまざまなことを教えて下さいました。スワヒリ語にも堪能で、調査助手たちやその家族たちが持ち込むややこしい相談事にも本当に親身に対応されていました。また、トングウェの子供たちが十分な初等教育を受けることができないことに心を痛め、奥様の発子さんとご一緒にワトト基金を設立し、数多くの子供たちが教育を受けられるよう支援をしてこられたのには本当に頭が下がる思いです。

 カンシアナキャンプでの川中先生と言えば、よくおいしい料理を作ってくださったのを想い出します。一日中チンパンジーを追いかけて帰ってきて疲れているにも関わらず、フィールドで手に入る限られた食材を駆使して本当にいろんな料理を作ってくださいました。1996年にやはりカンシアナキャンプで一緒になったウィリアム・マックグルーさんが川中先生の料理に感激して、先生のフィールド料理のレシピを本にして出版するべきだと強く主張していたほどです。フィールドでの食生活は単調になりがちなのですが、川中先生とご一緒したときは本当に充実した食事を毎日楽しむことができました。

 研究の面でも、チンパンジー研究そして霊長類学における川中先生の貢献は計り知れません。とくに、チンパンジーの集団間関係を初めて明らかにした研究は、半世紀にもわたるチンパンジーの研究史の中でも最も重要な研究の一つだと言えるでしょう。その他にも、子殺しとカニバリズム、狩猟行動、オスの社会的成長、オス間関係など、チンパンジー研究において中心的で興味深い数々のテーマについて研究をしてこられました。

 すっかり調査体制が整っている現在とは違って、マハレでの調査の初期のころには私たちが想像もできないような困難が数多くあったに違いありません。川中先生はそんなことをおくびにも出さず、淡々と研究に邁進してこられました。私たちマハレ研究の後進としては、まだまだ川中先生から教えていただかなくてはならないことがたくさんあったように思います。本当に早すぎるご逝去には残念でなりません。

 心より川中先生のご冥福をお祈りいたします。どうぞ安らかにお休みください。

(なかむら みちお・京都大学大学院理学研究科)




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