マハレのチンプ(ん?)紹介
第7回 グェクロ

紹介者 西田利貞

グェクロ  現在、最年長の雌の一人であるグェクロがKグループに転入してきたのは、1972年のことである。私が見たのは1973年、当時はコンゴからの難民がンカラ谷の湖岸に住み着き、罠を多数仕掛けていた。その罠の針金が片手にまきついていて使えず、ビッコを引いていた。それでトングェ語で罠を意味するikuloに「−の娘」を意味するGwaを合わせ(Gwa-ikulo)、「罠の娘」と名づけた。母音が2つ連続するとリエゾンという現象が起こり、a-i はeに変わる。それでGwekuloとなる。幸い、数ヵ月後、金属のワッカは錆びて落ち、手の傷は回復した。彼女は、1976年までには、少し年長で息子カタビをもつチャウシク(珍聞No.1参照)と仲良くなった。上原重男さんによると、1977年チャウシクが風邪を引いたとき、チャウシクは2歳のカタビを放り出したので、グェクロが1週間もカタビの面倒を見たという。これが子守としての彼女のキャリアの始まりだった。その後、ワカスンガの息子リンタ、ワカンポの娘ブロンディ、プリンの娘ピピなどを次々と世話した。なかでも、3歳で母親プリンをインフルエンザで失ったピピをグェクロは養女にした。彼女は授乳以外のすべての面倒を見た。5歳をすぎたらグェクロはピピの面倒をあまりみなくなったが、ピピは10歳ぐらいになっても、ときどきグェクロのもとに戻り、毛づくろいを交換し合った。その後、グェクロは大柄でお尻の大きいピンキーと仲良くなり、その息子プリムス、ついでその妹パフィの家庭教師となった。この10年、グェクロはほとんどいつもピンキー母子と一緒に過ごしているので、ピンキーと喧嘩するときはグェクロにも攻撃される覚悟が必要である。30歳を過ぎてからは、発情しても雄があまり交尾しようとはしなくなった。子持ちの年よりは40歳を過ぎてもモテルので、彼女の不人気は不妊のせいとしか思えない。彼女は雄のように木を揺すったり、棒を投げたりのディスプレーをする。あるいは、性ホルモンのアンバランスがあって、それが不妊と関係しているのかもしれない。

(にしだ としさだ、(財)日本モンキーセンター)



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