地震との遭遇 花村俊吉

 そのとき私は、マハレのチンパンジーMグループの声を頼りに、彼らの遊動域の南端にある山の中腹まで来ていました。ゴゴゴゴゴッという突然の地響きとともに山全体がガタガタと揺れ始め、一瞬の沈黙の後、1つ谷を隔てた向こうの山から「ヒャー、ウヒャー、ヒャオー、ギャー」とチンパンジーたちの叫び声が聴こえてきました。地震だ!と思ったときにはもう立っていられないくらいに大地が揺れていて、隣にいた調査助手は地面にしゃがみこんで近くの樹にしがみついていました。その後も地震は断続的に1時間以上続き、そのたびにチンパンジーたちの不安げな叫び声があがりました。声から判断するに20頭以上はそこにいたようでした。

 2005年12月5日に発生したこの地震が、ここマハレ近辺を震源地とする比較的大きな地震であったことを後に知りました。幸い、Mグループのチンパンジー、現地研究者、調査助手およびその家族に人(チン?)身事故はありませんでしたが、近年のタンザニアでは地震の発生は珍しいできごとで、長年マハレのチンパンジー調査を手伝ってきたトングェ族やハ族の人々も、口をそろえてあんなに大きな地震は初めてだったといいます。そしてそれは、チンパンジーたちにとっても同じでしょう。

 12月5日以降も余震が続き、人々は地震という得体の知れないできごとに対して、それぞれ納得のいく説明を持ち出し始めました。私から聞いたプレートテクトニクスによる科学的な説明に納得して安心した人もいました。最初の大きな地震をMama ya tetemeko(地震の母)、その後の小さな余震をMtoto wa tetemeko(地震の子供)とし、父が帰ってこないから母が怒っているのだと地震を擬人化して捉えた、ある調査助手の説明に耳を傾けていた人もいました。

 地震発生時のチンパンジーの様子を観察する機会にも何度か恵まれました。地震のとき地上にいたチンパンジーは、近くの樹に少し駆け登り、顔を突き出してじっと周囲の様子を窺います。そして、誰かが悲鳴をあげると思い出したように皆叫び出します。地震が去ってしばらくすると樹から下り、何事もなかったように毛づくろいや採食を続けます。私には、それぞれのチンパンジーが体験する地面の揺れという恐怖、何が起こったのかという不安が、誰かの悲鳴によって一気に表出され、皆で叫ぶことでその恐怖や不安をやり過ごしているように思えてなりません。チンパンジーも人間も、地震という得体の知れないできごとを他者と共有することで既知のできごとに変えていっているのではないでしょうか。

(はなむら しゅんきち、京都大学理学研究科)




第7号目次に戻る次の記事へ