僕、リーフ・クリッピングなんてしなかったよ

松本晶子

チンパンジーのいるあたりからは、騒々しい音がよく聞こえてきます。彼らにとって、音はコミュニケーションのひとつの手段です。声以外にも、体をかく「ぼりぼり」、じだんだの「ぱん」といった音や、岩、木の板根、枝、葉などを使ってたてる特徴的な音があります。これらのさまざまな音を他個体の注目を引くためにたてることが多いことから、彼らは音の機能を理解しているだろうと考えられています。私たち研究者も、これらの音にずいぶん助けられています。チンパンジーのたてる音を手がかりに、彼らの居場所の見当をつけて、森の中を探すのです。 折りとった葉を唇の間にしっかりくわえ、小さくかみちぎって目立つはっきりした音をたてるリーフ・クリッピングという行動があります。マハレでは、若いオスが求愛の際にリーフ・クリッピングをよくおこないます。

 ある日、ベンベ(低順位のオトナオス)は、発情しているコンボに向けてリーフ・クリッピングをしていました。そこに、βオスのンサバが毛をたてて勢いよく走って来て、コンボに近づき、交尾をしました。ベンベはンサバが走ってくると少し逃げました。なぜなら、高順位オスは他のオトナオスが発情メスに求愛したり、交尾したりするのを見ると、攻撃することがあるからです。ベンベは手にもっていた1枚の葉を口にはりつけ、ンサバたちからは顔をそむけていました。しばらくして、ベンベは葉を口からとって、ンサバにあいさつのパントグラントをして近づき、またその葉を口につけて、ンサバと一緒に行ってしまいました。

 ベンベはンサバからの攻撃を避けるために、手に持っていた葉を口につけ、「葉をちぎって口につけて遊んでいるけれどリーフ・クリッピングをしていなかったよ」とでもいうように、自分とは関わりがないふりをしたようにみえます。”音”は相手の注意をひきつけるコミュニケーションの道具となりますが、”音をたてなければ”ある個体がたとえ音をだすための道具をもっていても第三者は発信者を特定することができません。この例は、そのような音の特徴をうまく利用した”だまし行動”といえるかもしれません。私たちが内緒というときに、指を口にあてる行動にちょっと似ていておもしろいな、と思いました。


リーフ・クリッピングをするカドムス (撮影:松阪崇久)

(まつもと あきこ、沖縄大学・人文学部)




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