追悼ドグラ中村美知夫
「L0(エルゼロ:調査路の名前)の近くでチンパンジーのような死体を見ました」と、調査助手のキトペニさんが知らせてくれたのは2004年2月10日の午後7時少し前のこと。カンシアナ基地が、夕闇に包まれようとしているころでした。その知らせが意味することはすぐに分かりました。
ドグラの死…でした。
当時23歳のドグラ(雄)は12月の初めから姿を見せなくなり、1月に現われたときにはすっかり痩せ細っていました。1月27日からは、カシハ谷にある大きなイハンブワ(イチヂクの一種)の木にとどまり、Mグループのほかの個体たちについて行くことすらできなくなっていたのでした。その後、イハンブワの実もなくなってしまい、ドグラは再び姿を消しました。私たちはその安否を心配していたのです。
翌朝、私たちは遺体を確認に行きました。遺体は夜の間に10メートルほどヤブイノシシに引きずられ、全身の毛が抜け落ちていました。毛がまったくないチンパンジーの遺体は、気味が悪いくらい人間に似ています。 経歴のよく分かった野生チンパンジーの骨格は大変貴重な資料となります。私たちは、淡々と必要な計測を済ませ、骨にするために遺体を大きな袋につめて、近くの木の下に吊るしました。 私にとって、チンパンジーの遺体を回収するのはこれが初めてではありません。しかし、よりによってドグラの骨を拾うことになるとは思ってもいませんでした。ドグラは私がはじめてマハレにやってきたときから観察対象にしていたチンパンジーです。そのときはまだ13歳で、これからオトナの仲間入りをしようというころでした。小柄な体ながら奮闘する姿に、好感をもったことを覚えています。 そしてなぜか、私の夢に現われるチンパンジーは、決まってこのドグラでした。 翌日、Mグループは久しぶりに大きな集団を作り、遺体を吊るした木のすぐ近くの丘へやってきて、二時間ほど毛づくろいをして過ごしました。
若い調査助手の一人が、感傷的というふうでもなく、こう言いました。
「ドグラに会いに来たんだな…」
私は黙ってうなずきました。「科学的」に考えるなら、ただの偶然にすぎないでしょう。でもそのときは、私にもたしかにそんなふうに思えたのです。
ドグラ氏の冥福を祈ります。
(なかむら みちお、(財)日本モンキーセンター) 第3号目次に戻る | 次の記事へ |