4キロやせて得た知識

フランス・ドゥヴァール


 今夏、私はマハレ山塊国立公園で10日間を過ごしました。8月にはチンパンジーたちは、カンシアナ調査基地から離れた山の上に登っていることが多く、ひょっとしたらまったく姿を現さないかもしれない、とおどされていました。しかし、幸運なことに、私が西田利貞教授と調査基地に到着し、まだ荷物の整理も終わらぬ間に、彼らのパントフートが遠くから聞こえてきたのです。その日の午後にはMグループのほとんどのチンパンジーたちが山を降りてきて姿を見せ、基地の横にあるプレハブの小屋をめちゃくちゃに叩いていきました。野生のチンパンジーを見るのは、私にとってこれが初めてのことでした。これまでにオランウータン、ムリキ、いろんなマカクの仲間、オリーブヒヒ、テナガザルなどの調査地を訪れる機会はあったのですが、なぜかチンパンジーだけはその機会がなかったのです。私もチンパンジーの専門家であることを自負していますから、野生のチンパンジーを見たことがないというのは、少し恥ずかしいことでした。ですから西田教授が、自分の退官が近いのでこないかと誘ってくれたとき、私は二つ返事で決めたのです。
 滞在中は、毎日チンパンジーを見ることができ、ほとんどいつも、集団でいるところで出会いました。彼らを追いかけて山の中を登ったり降りたりしたせいで、私の体重は一日に400グラムくらいずつ減っていきました。これまで私自身は動物園などの飼育下で観察をしたり、ヤーキース霊長類センターなどで行動実験をおこなったりしてきたので、研究対象の動物を見るためにこれほどのエネルギーを使うことはありませんでした。飼育下のチンパンジーたちは屋外の放飼場に暮らしているので、野生下で見られる行動の多くが飼育下では見ることができません。飼育下での類人猿研究の必要性を疑ったことはありませんが、彼らが見せる行動がいったい何のためのものなのかを教えてくれるのは、自然状態での研究だけであることもまた確かなことです。社会や認知の進化に関する問いに答えるためにはフィールドからのデータが必要なのです。そして、私はこのマハレという最も古いチンパンジー調査地の一つに、40年ほど前にまさしくこの場所で調査を開始した真のパイオニアと一緒にいるのです。ここを訪問して、あらためて野生の類人猿の研究に必要な根気強さと勤勉さに対する尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。
 書きたいことは山ほどあるのですが、その豪勢さゆえに私が「マハレ・シェラトン」と呼んでいたキャンプでの暮らしや、食事、そして山を歩いた後のぬるいビールなどについてここで詳しく述べるのはやめておきましょう。何より驚いたのは、毎朝6時には起きて、大急ぎで朝食を取り、明るくなるかならないかのうちに出かけていくことでした。これはチンパンジーを探さねばならないからですが、何人かの若い研究者と多くのトラッカーたちがそれを支えていました。もしチンパンジーが静かで内気な生き物であったら、この広大な森の中で朝のうちに見つけることはむずかしいでしょう。しかし幸運なことに、チンパンジーは世の中でもっとも騒々しい動物の一つなのです。私がもっとも衝撃を受けたことの一つが、彼らがいかに音声を頼りにしているかということでした。私は、チンパンジーのさまざまな音声をよく知っていますが、野生のチンパンジーの暮らしにとって音声がこれほどまでに重要なものだとは思ってもみませんでした。たとえば、壮年のオトナ雄のアロフを追いかけてみましょう。彼がじっと立ち止まって、離れた所にいる他個体たちの声につねに聞き耳をたてていることがよく分かります。そして、声に対してさまざまな反応をします。自分自身も声をあげて応えたり、声のした方へ大急ぎで向かったり(そうすると私はからみ合った蔓にひっかかってじたばたするはめになる)、そしてときにはそんな声なんてまったく聞こえないふりをしてみたり…。すぐ近くの声から遠くにかすかに聞こえる声まで、森は彼らの叫び声で満ち溢れています。このように、彼らの社会生活のかなりの部分が音声の世界なのです。飼育下ではほとんどつねにお互いの姿を見ることができますから、これほどまでに音声が重要な地位を占めてはいないのです。
 喧嘩も何度かありました。このようなシーンを詳細に記録することには、私は慣れています。誰が誰をサポートしているのか、攻撃の激しさはどうなのか、そしてその後に続く仲直り行動…。しかしマハレではそんなことは忘れなければなりません。喧嘩が起こっているということは、姿の見えないチンパンジーたちの悲鳴やガサゴソいう藪や木々、そして突然藪の中から一瞬だけ姿を現す喧嘩の当事者たちに囲まれていることを意味するのですから。フィールドワーカーたちは、そういった情報のかけらから、起こっていることをよりよく把握する術を身につけていますが、すべてが観察できるわけではなく、あくまでそれは情報を再構成するプロセスなのです。
対角毛づくろいするチンパンジー  何よりもうれしかったのは、対角毛づくろいやリーフクリッピング(葉の噛みちぎり)、川床でのディスプレーなど、マハレのチンパンジーに知られている文化行動の多くを観察し、写真に撮ることもできたことでした。干あがった川床の大きな石を投げ飛ばすというディスプレーは、最初にントロギ(伝説的ともいえるかつての第一位雄)について報告されたものです。かつてントロギがこのディスプレーをするのを、アロフはまだ若い頃に見ていたに違いありません。今ではそのアロフが、同じディスプレーを力強くそしてリズミカルにおこなっていました。文化行動の中でも私がとくに見たかったのが、対角毛づくろいでした。なぜなら、この行動は私たちが研究しているヤーキースの飼育群でも観察されていたからです。マックグルーは文化霊長類学者はたんに集団に特異的な行動を探すだけではなく、そういった行動内のバリエーションにも注目するべきだと主張しましたが、これはまさしくそのとおりでした。Mグループの対角毛づくろいは、私たちが飼育下で観察していたのとは微妙に異なっていたのです。ヤーキースのチンパンジーの対角毛づくろいでは、彼らの手は互いに固く握られているのに、Mグループではたんに二頭の手がぶらりと宙に上げられたまま互いに寄りかかっているだけだったのです(写真1)。
 マハレでは、研究者とトラッカーたちは用心深くチンパンジーと直接交渉をしないようにしています。これは賢明なことです。しかしそれにも関わらず、チンパンジーたちがよく知っている人間たちに対する態度は、たまにやってくる観光客に対する態度とはあきらかに異なります。彼らの間には相互信頼関係が築かれているのです。3歳の娘をもったピンキーという雌を一日追いかけたときのことです。その3歳の女の子はじっと座っていることができないようで、ときどき母親の背中の上を転がってはじっと私のほうを眺めていました。その子は道の上で私があと数歩の距離に近づくまで待って、大急ぎでお母さんの方へ駆けていって背中に飛び乗ります。でも、またすぐに地面にコロンと転げ落ちて、彼女を追跡している二足立ちの類人猿を待っているのでした。彼女には私がチンパンジーの友達だということが分かったようでした。
カルンデ  チンパンジーの政治も見ることができました。もっとも、西田教授が背景情報を教えてくれなければそこまで詳しいことは分からなかったでしょう。第一位雄のファナナは、3ヶ月の間、魅力的な雌とサファリにでていました。この長いファナナの不在の間、第二位のアロフがディスプレーでその存在感を示していました。そのそばにはしばしばカルンデの姿がみとめられました。カルンデは最年長の雄で、壮年の雄の半分ほどの大きさしかありません。40歳に近くなって彼はだいぶ小さくなったようです(写真2)。チンパンジーにはよくあることですが、このような盛りを過ぎた登場人物こそが真の策士なのです。カルンデはよくアロフを毛づくろいし、そしてよく一緒にディスプレーをしました。もっともそれもファナナが戻るまででした。その日、私はアロフを追跡していました。いったい何が彼に起こったのかその時は分からなかったのですが、彼は山を登ったり降りたり、登ったりは降りたりを何度となく繰り返しました。これほど運動させられたのは初めてです。アロフはしばしば自分の乳首を触っていました。この行動はビーリャ(ボノボ)の雄が自分を慰めるためによくやる行動ですが、アロフはファナナが戻ってきたことで完全に神経質になっているようでした。アロフがファナナにパントグラントをしなかったため、それからの数日の間緊張がみなぎっていました。この緊張がどのように解決したのかは分かりませんが、付く陣営をカルンデが次々と変えるさまを見るのは非常に面白いものでした。この老雄は、あるときにはファナナと毛づくろいをしたかと思うと、次のときにはアロフと親しくするのでした。まるでどちらの側につくのが有利なのかを推定しようとしているようでした。
 私がまさしくフィールドワーカーとしての洗礼を受けたのは、狩猟を観察しているときでした。木の上で何頭かのオトナ雄と発情雌たちがアカコロブスの死体を分割しているのを私はその真下から見ていました。狩猟がおこなわれていることは、チンパンジーのフート音と悲鳴、それにコロブスの金切り声によって分かります。その騒動の間に、重力の法則にしたがって、一頭の雄の下痢便が私になんとも臭い経験をさせてくれたのです。なにを文句を言うことがありましょう。私はこれまでに数多くの狩猟の記述を読んできましたが、実際の光景は本当に私をぞくぞくさせるものでした。まさに「百聞は一見にしかず」です。その後私がやるべきことといえば、「シェラトン」でシャワーを浴びることだけでした。

(フランス ドゥヴァール・エモリー大学/ヤーキース霊長類センター)

写真1(上):Mグループの対角毛づくろい(訳注:英語では「握手毛づくろい」という)では、実際には手を握らず、互いの手を寄りかからせる。(写真:フランス・ドゥヴァール)

写真2(下):カルンデはアーネム動物園のイエルーンや今ヤーキース霊長類センターにいる老雄のことを想い出させた。この雄たちはいずれも自分よりも若くて強い雄たちの競争心を巧みに利用して、キャスティングボートを握る。カルンデはマハレで研究が始まった当初から生き残っている数少ない一頭である。(写真:フランス・ドゥヴァール)



第2号目次に戻る次の記事へ