離れていて見えないチンパンジー

(とヒト?)どうしのお付き合い

花村俊吉


 「スーフー」と、チンパンジー1頭が口をとがらせて大きく息をし始めます。続いて肩を上下させつつ、吸気と呼気の両方の音からなる「フーホーフーホーフーホーフーホワァー」という大声を発します。珍聞創刊号でもその紹介記事がありましたが、パントフートと呼ばれるチンパンジーの長距離音声です。地形にもよりますが1〜2kmもの範囲に届き、離れていて見えないチンパンジーどうしで「鳴き交わし」になることや、近くにいて見えるチンパンジーどうしが声を重ねて「コーラス」になることもあります。


 

パントフートを発声するオトナメスの アコ(左)とオトナオスのアロフ(右)



 さて、そんなパントフートの発声直後、チンパンジーは視覚的には見えない他個体の「返事」に耳を澄ませるかのように、10秒ほどじっと動かずにいることもあります。しかし、いつも「返事」があるわけではなく、静かなマハレの森の木々のざわめきと鳥たちの音が聴こえるのみであることも多いのです。こうして、場合によっては森のあちこちがチンパンジーたちの喧騒に包まれることもありますし、そうかと思えば一切声のない静かな日もあります。

 マハレの森を歩いていて運がよければ、Mグループチンパンジーたちのパントフートがすぐにでも聴こえてくるはずです。実は、マハレの森でチンパンジーと出会いたい研究者や観光客(のガイド)が、チンパンジーの捜索・発見のためにまず利用するのもこうしたチンパンジーの声なのです。チンパンジーの足跡や藪の通り跡、食痕などもチンパンジーの捜索・発見のための有力な情報源ですが、声さえ聴こえれば、少なくともその時点で、一部の個体がそちらにいることになりますので、あとは直行するのみです。とはいえ、いざ到着してみるとチンパンジーたちはすでにその場を去っていたりもしますので、声のよく聴こえる小高い丘の上でチンパンジーたちの声が何度か聴こえるまで待ち、だいだいの遊動方向を把握してチンパンジーの先回りを試みることもあります。しかし、これも成功するとは限りませんし、チンパンジーたちが声を出さなくなればそれまでです。場所を変えて再度声を待つか、声以外の情報源の収集に乗り出すしかありません。


 

遠くの他個体のパントフートを聴いて声の方に振り向くオトナメスのゾラ



 離れていて見えないチンパンジーとヒトがどのようにして出会うかについての話になってしまいましたが、私は、チンパンジーどうしでも案外同じようなことがおこっているのではないかと考えています。実際、私がチンパンジーの「声聴き」をしたり調査助手と声で連絡を取り合うのと同じように、チンパンジーも小高い丘の上まで移動して発声したり誰かの声を待っているように思えることがありますし、他個体の声を聴いた時にも、「返事」はしなくてもそちらに向かっていったり、逆にそちらには向かわなかったりと、チンパンジーは他個体の声をよく聴いて遊動しています。もちろん、全く気にする様子もなく樹上で採食などを続けていることもしばしばあって、チンパンジーたちは互いにいま・ここでは出会わずに離れていつづけることもできるのです。こういった他個体の声を聴く様子からも、チンパンジーたちの付き合い方の一端が見えてくるのではないでしょうか。



(はなむら しゅんきち 京都大学)




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