第1回 チャウシク

紹介者 西田利貞

 私がこれまでいちばん長時間つきあったチンパンジーは、チャウシクである。彼女に初めて会ったのは1966年の5月で、まだ若者だった(ちなみに、私も25歳の若者だった!)。名前は、私のムピシ(コック)だったラマザニ氏の妹にちなんだ。ふつう、雄の方が大胆で、早く人に慣れるのだが、彼女は例外だった。71年に性的成熟を迎えるとますます大胆になり、人前でアルファ雄のカソンタと交尾するなど傍若無人だった。74年に初産を迎え、亡くなるまでに四回出産した。子育ては「レッセフェール派」で、若い雌が子守りに来たら、簡単に赤ん坊を渡して、そのまま忘れて(?)しまうことさえあった。若い雌は授乳できない。赤ん坊がミルクが飲みたくてフィンパーしはじめ、子守りの方が懸命になってチャウシクの行方を探すことは珍しくなかった。生後一カ月の息子を頭の上に載せて歩くという無茶をしたのは、彼女だけである。小さい子をお腹に抱えたまま、ホロホロチョウの群れをめがけて藪の中に突進し、私をはらはらさせたこともある。彼女は私をまったく恐れなかったので、私は何度も、一日中一人で彼女のあとをつけることができた。だから、チャウシク母子と藪の中で二人きりで過ごした時間はたいへん長く、チンパンジーの母子関係について私が知っていることの多くは、彼女から学んだものである。拙著『チンパンジーおもしろ観察記』の謝辞で、「------しかし、故チャウシク・ビンティ・カジャバラ女史の名前だけは、彼女の開放的な性格のおかげで、調査がいちじるしく進んだことに対して深い謝意を表し---」と私は書いたが、多くの読者は、カソゲの村人の名前と思っていることだろう。



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