第39回 シケ

紹介者 保坂 和彦


 私が初めてマハレでの調査に参加したのは1991年8月です。2019年までに研究対象としてきたオトナオスは、消失個体を含めて30頭になります。このうち、「最もカッコいいオスは誰?」と問われれば、私は迷わず、シケを挙げます。(シケという名前は、上原重男さんのあだ名にちなんでいます。)



写真 マスディ(右)のリーフグルーミングを覗き込むシケ(左)。(1992 年1 月11 日)



 シケは、1969年(推定)、M集団のメス、グウェパラの子として生まれたとされています。つまり、1991年の彼は推定22歳のオトナでした。右の耳が前方に垂れているのが特徴で、白い顎髭、黒い体毛と長い手足が美しいオスでした。顔つきや体型が、今もマハレにいるアビやオリオンによく似ており、おそらく父子関係があるものと(私は)信じています。
 1991年は、ソ連が崩壊した年ですが、マハレでもオス間関係が激動した年でした。11年以上アルファオスを続けていたントロギが、2位雄カルンデによる他のオスたちとの同盟に屈して失脚し、暫定的にカルンデがアルファオスに昇格しました。暫定的と書いたのは、ントロギは、カルンデらに劣位表明をしないまま、彼らを避けるようにM集団の遊動域内で独り歩きを続け、11か月後のアルファ復帰を果たしたからです。
 ントロギがいわば追放状態となっている間、シケは2位オスとなり、カルンデから少し離れたところで、頻繁に突進ディスプレイを繰り返し、中・低順位オスやオトナメスにたびたび悲鳴を上げさせていました。彼の突進ディスプレイは、ひときわ印象的でした。走りながら地面を平手で叩いたり足で踏みならしたり、遠くにいても聞き分けられるほど小気味よい音がしたものです。
 シケは、カルンデに直接挑戦的なふるまいをすることは少なく、むしろ3位のンサバのほうがカルンデに対して挑戦的でした。興味深いことに、ンサバはシケにはめっぽう弱く、カルンデにとってはシケがンサバの挑戦を食い止める安全弁のようになっているようでした。一方、カルンデとシケは、肉食時に肉を分け合う関係でもあり、緩やかな同盟関係が示唆されました。
 それをある意味裏づけたのは、シケを襲った病でした。11月末にシケは忽然と姿を見せなくなり、たちまちンサバがカルンデに執拗に攻撃を加えるようになりました。1か月も持たず、カルンデはンサバに屈し、ついには独り歩きしていたントロギと合流します。結局、翌年1月20日にはントロギがカルンデを引き連れてアルファオスに復帰し、ンサバは2位に封じられることとなります。
 その少し前、1月11日の朝、シケはひどく痩せ衰えた姿で、カンシアナ基地の裏手の林に現れました。この日、夜まで個体追跡したのが、彼の最後の観察となりました。クビラの実を採食中の数頭の中・低順位オスは木の下に現れたシケを見て、小さく挨拶の音声を発しましたが、シケに木を登る元気さえないのを悟ると、やがて威嚇の突進ディスプレイを繰り出しました。シケは小さく悲鳴を上げましたが、その彼の身体を直接攻撃するようなオスはいませんでした。低順位オスのマスディは、興味津津といった様子で居残り、夕方の就寝までシケに追随しました。途中、マスディが樹上採食して落とすイロンボの実をシケが拾い食いしたり、長い毛づくろいをかわしたり、リーフグルーミングするマスディをシケが覗き込んだりと、シケにとっては束の間の社交的な時間となりました。午後7時過ぎにゆっくりと低木を登ったシケはなかなかベッドをつくらず、枝に座ったまま北の空をじっと眺めていました。暗くなったので、私は基地に戻り、翌朝再びシケを探しに出ましたが、二度と彼を見ることはありませんでした。
 シケがあと10年でも健康に生きていれば、1990年代のマハレのオス間関係の歴史は大きく違っていたことでしょう。私は、今でもシケの最後の日を思い出し、そのような思いに浸ることがあります。

(ほさか かずひこ・鎌倉女子大学)




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