第15回 インゲンマメのコーヒー?

川添 達朗

 

 突然ですが、私はコーヒーが好きです。ニホンザルの調査を始めた学部生のころにはフィールドに調査に出かけるときや、研究室で論文を読んだりデータ分析をしたりするときには、コーヒーが欠かせなくなり、自分でコーヒーをドリップする面白さに目覚めました。大学院生のころにはドリップだけでは飽き足らず、世界各地のコーヒー豆を購入して、いろいろな粗さに豆を挽き、豆の種類や粗さによって味や香りのちがうコーヒーを楽しんでいました。この頃の研究室には、私が買った様々なコーヒー豆やコーヒーを淹れるための器具がどんどん増えていきました。自分で挽いたコーヒーを仲間とおしゃべりしながら飲む、それがとても楽しく、毎日何回もコーヒーを淹れていたのを覚えています。そして、初めてのタンザニア渡航は、コーヒーをめぐる珍妙なやりとりとともに、コーヒーへの思い入れをいっそう強くするものとなったのです。

 ニホンザルの調査をずっと行ってきた私が、マハレで新しい調査に挑むことを決めたのが2020年10月でした。その直後に始まった新型コロナの流行による海外渡航制限もようやく緩和され始めた2022年7月、私はようやくタンザニアの地に立つことができました。

 ご存じのようにアフリカはコーヒー豆の生産が盛んで、タンザニアもキリマンジャロに代表されるようにコーヒーを世界各地に輸出しています。もちろんおいしいコーヒーに出会えることを期待していましたが、ホテルで飲めるのはインスタントコーヒーがメインでした。インスタントとはいえ日本とは違う風味を十分に楽しんでいたのですが、そろそろ他のコーヒーも飲んでみたいと思い始めていたそんな折に、たまたま連絡を取っていた研究者から、キゴマの市場でコーヒーの生豆が買えることを教えてもらったのです。



写真1 キゴマの市場の様子




写真2 商品の並ぶ棚



 ちょうどキゴマに滞在していたこともあり、これ幸いと市場でコーヒーの生豆を探すことにしました。しかし、私にとって今回が初めてのタンザニア渡航で、スワヒリ語がろくに分からないという大きな問題が立ちはだかります。コーヒーはスワヒリ語でカハワだよな…、私はカハワが買いたいですと言えばわかってもらえるかな…。頭の中でシミュレーションしながら市場の一角、穀類が売られているエリアに向かいます。
 満を持して、「コーヒーが欲しいです」といった私に差し出されたのは、すでに焙煎され挽かれたコーヒーの粉。違う、それじゃない。このパターンは想定していませんでした。コーヒー豆が欲しいのですが、残念ながらタンザニア滞在2週間の私は、コーヒー豆をスワヒリ語でどういえばいいのか分からなかったのです。お前が欲しいのはこれだろ?と言わんばかりに、店員のおじさんはコーヒーの粉を差し出し、私がそれを受け取るのを待っています。焦る私。何かしゃべらねば。その時とっさに出てきたことばが、「カハワ・ヤ・マハラギ。」
 それを聞いた店員さんは、差し出した手を少し戻し、何を言ってるんだこいつはという明らかに困惑した表情を浮かべました。数秒の沈黙の後、「あーこれのことか?」と私を案内してくれたその先にありました、コーヒーの生豆です。それ!と喜ぶ私を見て、店員さんは大爆笑です。「カハワ・ヤ・マハラギ」とつぶやきながら、ひとしきり笑った後、「これはカハワ・ヤ・ンベグと言うんだ」と教えてくれました。
 私はマハラギ=豆、と直訳して覚えていたのですが、マハラギは主にインゲンマメのような豆類を指す言葉です。私はそれを知らず、ただ、“コーヒー=カハワ”と“豆=インゲンマメ”という単語を並べることでコーヒーの生豆がほしいと伝えようとしていたのです。インゲンマメコーヒーが欲しいと言われたら、誰でも困惑するし呆気にとられ笑うしかないでしょう。ちなみに、ンベグは種(たね)という意味らしく、コーヒー豆のことをスワヒリ語ではコーヒーの種と言うようです。
 目的のものが手に入りそれをスワヒリ語で何というかもわかり満足した私は、素っ頓狂なことをいう変なアジア人に大笑いし、支払いをした後もまだニヤニヤを引きずっているおじさんに手を振りながら、市場を後にしました。
 その翌日、今度は違うものを探しにまた同じ市場に足を運びました。探し物をしている私に近づいてくる見覚えのあるおじさん。彼が発した言葉は、こんにちはでもいらっしゃいでもなく、「カハワ・ヤ・マハラギ!」彼の中では私のあだ名としてしっかり定着したことでしょう。声をかけてもらえたことがうれしくもあり、またおちょくられていることが悔しくもあり、「違うこれはカハワ・ヤ・ンベグだ」と返した私に、彼は満面の笑顔とグータッチで応えてくれました。
 そんなやりとりを経てキゴマで買ったコーヒーの種は、長旅を経て日本にたどり着き、私のコーヒーコレクションには、焙煎用の小型フライパンが追加されました。この自家焙煎がまたとても面白いのです。うまく焙煎できるように繰り返し練習し、またあの市場にコーヒーの種を買いに行こう。彼はまた「カハワ・ヤ・マハラギ!」と声をかけてくれることでしょう。



写真3 日本に持ち帰ったコーヒーの種



(かわぞえ たつろう・東京外国語大学)



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