第14 回 宙を舞う女の子、通じたお婆さんの祈り花村 俊吉
これまでの連載で、タンザニアの飛行機にまつわる珍道中がたくさん報告されてきました。たとえば、手荷物検査での「お守り」をめぐる松本卓也さんの検査員との攻防(第24号参照)。私も、巻き煙草の葉っぱをマリファナと間違われてひと悶着起したり、幸い往路でデータは空であったもののUSBメモリをライターと勘違いして(回収不可能な)「危険物入れ」にほかされて怒り狂ったりしたことがあります。それから、国内線の遅延のせいで帰国する国際便との乗り継ぎが危うくなってしまった西江仁徳さんの数々の立ち回り術(第33号・第34号参照)。私も国内線の遅延によって中継地(ムワンザ)で一泊させられたことがありますが、その際は往路で日程に余裕があり、ホテル代も航空会社持ちだったので、気持ちよくムワンザの街を丸一日堪能できるという幸運に恵まれました。思い起こすと本当に次から次へと幸も不幸もいろいろなできごとが起こるのがタンザニアの飛行機事情ですが、今回は国内線航行中の機内でのできごとを紹介したいと思います。 写真1 「雨漏り」疑惑のあった飛行機 転じて舞台はその機内。とくに「雨漏り」した形跡もなく、天候も快調でしたので、まぁ何とかなるだろうと一安心。遠ざかるキゴマの街を眺めていたのもつかの間、飛行機は順調に雲の上に出ました。そのあとしばらく過ぎ行く雲海を眺めていましたが、そのうちウトウトと寝てしまったようです。 30分ほど経った頃でしょうか。どこかで赤ん坊が泣き叫ぶ声とともに、フワッと自分の身体が浮くような感覚を覚えて目を覚ましました。ほどなくして機体がガタガタガタと大きく揺れ出し、何やら軋む音も聴こえます。方々で乗客がざわつき始めます。私もまだ幼い女の子を抱いた隣席のお母さんと目を合わせます。窓の外は、先ほどとは打って変わって灰色一色。雨雲の中です。 これくらいの揺れは日本の国内線でもありえるよな。「雨漏り」の件を思い出して不安になる自分にそう言い聞かせつつ機内の様子を見回すと、客室乗務員のおばさんがこの状況に文句を言っている客の対応をしています。機長のおじさんも機内放送で乱気流による揺れが生じていることを説明しています。彼らのそつのないプロの仕事ぶりを見て大丈夫そうだという思い強くしたのですが、今度はドカーン!という雷が落ちたような轟音が響き、飛行機が急降下し始めました。 隣席のお母さんが悲鳴をあげ、「掴んで!掴んで!」と必死に私に頼んできます。あまりに想定外のことだったのではじめは何のことか気づかなかったのですが、彼女が抱いていた女の子が機体の天井近くに浮いているではありませんか。急降下による重力低下で、私や(かなり大きめの)そのお母さんでも少し浮いていたぐらいでしたので、体重の軽い子どもは軽々と宙を舞ってしまっていたのです。私は咄嗟にベルトを緩めて泣き叫ぶその子を何とか手で掴み、難を凌ぎます。すると今度は急上昇で全身に重力がかかります。そのあとも同様な急降下と急上昇が何度か続き、そのたびに私とお母さんは一緒に女の子をギュッと抱き留めました。機内放送も一切なく、機長もただただ必死に操縦桿を握っていたのでしょう。客室乗務員も、いまや座席に座って耐えているのみです。ついには、後ろの方の席に座っていたお婆さんが泣き叫びながら通路に立ち、何やらお祈りを始めました。周りのおじさんたちが止めようとしますが、お婆さんは両手を上に掲げて大声をあげたあと、地面に平伏せてお祈りを続けます。私も冗談抜きで初めて遺書を書こうかとフィールドノートを手にしましたが、最後まで望みを捨てず、必要な手助けや自助ができるよう状況認識を優先しようと思い直したことをいまでも覚えています。 ほんの10分ほどのことだったはずですが、本当に長く感じました。お婆さんの祈りが通じたのか、次第に揺れは収まり、飛行機は高度を保つようなりました。私とお母さんも顔を見合わせて微笑み合います。いまはしっかりとその腕に抱いた女の子の頭を撫でながら、「ありがとう」と一言。私も一緒にその子の頭を撫でます(写真2)。彼女は不思議そうな顔をして私を振り返りますが、すぐに窓の外を見つめます。その視線の先には青空が拡がっていました。 写真2 宙を舞った女の子 無事にダルエスサラームに到着したときには、乗客総立ちで拍手が沸き起こりました。客室乗務員と操縦席から出てきた機長も満面の笑顔です。みな、ともに苦境を戦い抜いた戦友のような気持ちになっていたのでしょう。知らぬ他人どうしで抱き合ったり声をかけ合ったりしている人たちも少なからずいたようでした。私も隣席の母子と別れの挨拶を交わし、飛行機をあとにしました。 結局「雨漏り」の真偽ははっきりしませんでしたが、雨雲に突っ込んでいたあの大揺れのなか「雨漏り」はしてはいなかったようですし、きっと何かの間違いだったのでしょう。その「雨漏り」はともかく、飛行機が大揺れすること自体は、タンザニアに特有のできごとというわけではありません。しかし今回紹介した飛行機にまつわる諸々のできごとを通じて、ときにいい加減で、たとえ根拠に乏しくともとりあえず前向きで、困ったときは手放しで助け合う、そんなタンザニアの人びとの生きる力を私は感じました。そういった身構えは、不安定な社会を生き抜く彼らの(その意味では確かな根拠のある)知恵なのではないでしょうか。 (はなむら しゅんきち・京都大学) 第37号目次に戻る | 次の記事へ |