第34回 ドグラ

紹介者 西江 仁徳

 




写真 在りし日のドグラ



 私はこれまでマハレ滞在中にチンパンジーが病気になったり死んだりすることがほとんどなかったことをひそかな誇りとしてきた。別に私がいたからチンパンジーが病気になったり元気になったりするわけではないのでたんなる自己満足にすぎないが、それでも自分がマハレにいるときに新しくアカンボウが生まれたり新入りメスが移入してきたりといった「めでたいニュース」が多いことは単純にうれしいものである。しかし、そんな私にとって数少ない「悲劇」を目の当たりにしたのが、ドグラの死だった。
 ドグラの死のいきさつについては、すでに中村美知夫さんが本紙に追悼記事を寄稿しているし(マハレ珍聞第3 号「追悼ドグラ」)、中村さんの著書でも触れられている(『チンパンジー:ことばのない彼らが語ること』、中公新書、58〜59 ページ)。同じ時期にマハレに滞在していた私も、すっかり痩せ細って動けなくなっていったドグラの元に足繁く通って「お見舞い」をしていたことはよく覚えている。ドグラは自分の体が思うように動かないことに多少の戸惑いを感じているようではあったが、それでも死が近づいていることへの悲愴感や感傷は、むしろわれわれ人間の観察者の側に色濃くただよっていたように思う。「ドグラは元気になるかなぁ」「きっとよくなるよ」といった気休めの会話をアシスタントと交わしたこともあったし、ドグラの死体が発見される数日前には、別の場所で動物の死体の臭いが広がっていて、「ついにドグラが死んだのか」と早とちりして、私と中村さんやアシスタントたちの間で一時大騒ぎになったことさえあった。
 私とドグラとの個人的なつきあいは1 年にも満たない。しかし、私が初めてマハレに行った2002 年8月の調査初日に森で最初に見つけたチンパンジーがドグラとアロフ(マハレ珍聞第27 号 マハレのチンプ(ん?)紹介 第27 回)だったことは今でも鮮明に覚えている。木の上で採食している2 つの黒い影を見上げて、それまで動物園でしかチンパンジーを見たことがなかった私は「野生のチンパンジーは意外と小さいんだな」と感じた。しかし、木から下りてくると、大柄なアロフほどではないにせよ、ドグラも隆々とした筋肉を全身にまとった立派な体躯を持っていた。引き締まった力強い肉体とは対照的に、クリクリとした優しそうな瞳と締りのない口元が、いつも親しげな雰囲気をかもしだしていた。
 2002 年当時は第1 位オス・ファナナ政権の最盛期で(マハレ珍聞第14 号 マハレのチンプ(ん?)紹介第14 回)、ドグラは同級生の第2 位オス・アロフと連合を形成してファナナに対抗しようとがんばっていたが、まだ若かったこともあってかファナナにはいつも蹴散らされていたように記憶している。メスにもとくにモテていたという記憶はないが、ちょうど病気になる直前の最後に観察されたとき、ドグラは発情した年寄りメスのワクシ(マハレ珍聞第9 号 マハレのチンプ(ん?)紹介 第9 回)を一緒に連れて行こうと、蔓を揺らしたり地面を踏み鳴らしたりしてしきりにがんばっていたのを思い出す。必死に手を替え品を替えがんばっているのにワクシがなかなかついてきてくれず、困ったような表情を浮かべていたドグラが傍目には微笑ましかったのだが、まさかそのまま姿を消してすっかり痩せ細った姿で戻ってくるとはそのときは思いもよらなかった。
 痩せ衰えて戻ってきたドグラだが、他のチンパンジーは彼の衰弱ぶりにあまり頓着していないように見えた。メスは出会うとドグラに毛づくろいもしていたが、とくに「病人を気遣って」いるような様子はなかった。また、当時集団を離脱して長期単独生活に入っていたファナナ(マハレ珍聞第3 号「第1 位オス・ファナナの失踪とその後の顛末」、第4 号「カシハ谷の決戦:第1 位雄ファナナの陥落とアロフの即位」)は、ドグラをちょうどよい「お供」と思ったのか、一緒に連れて行こうとしきりにがんばって移動を促していたが、ドグラはとてもそんな余裕はなく反応することもできないくらいぐったりしていて、ファナナもやがて困惑したような表情を浮かべつつあきらめて去っていった。
 ドグラの死体が発見された日は、私は調査を休む予定にしていたこともあって、死体の回収には行かなかった。どうしても休みにしなければならなかったわけでもないのだし、最後にドグラに会いに行けばよかったと今になって思うこともあるが、なぜかそのときは気が進まなかった。やはり「知人の死」に向き合うのは、それなりに気が重かったのだろうと思う。しばらくしてから、私はマハレの調査チーム宛に報告を兼ねてドグラの死を悼む手紙をしたためた。
 ドグラの遺体は中村さんが処理してくれたのだが、数カ月後に私が骨を回収することになった。チンパンジーの骨を触るのは初めての経験だったが、筋肉がなくなってしまうとやはり骨はすごく小さく感じた。死体を見ていないこともあってか、これがドグラの骨だとは信じられない感じもした。
 ドグラの骨を洗って回収した日の夜、私はマラリアを発症して激しい高熱にうなされた。ドグラの夢を見たかどうかは覚えていないが、さいわい薬が効いたのか、「ドグラのお供」にはならずに済んだ。さいきんになって、チンパンジーは死を認識しているのか、というテーマについて考え始めたこともあって、ドグラのことをあらためてよく思い出すようになった。痩せ衰えて意識朦朧としていたあのドグラの視線の先に何があったのか、また他のチンパンジーたちに「死にゆくドグラ」はどのようにうつっていたのか、そもそも生き物が死ぬというのはいったいどういうことなのか、ドグラはいまも私のそばからクリクリとした瞳で問いかけている。

(にしえ ひとなる・京都大学)



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