辿り着けなかった場所

木村 大治

 

 マハレは私の中で長いこと、親しいが辿り着けない場所としてあった。自分のやりたいことに迷いが生じ、人類学の勉強を始めたのは1980 年代のはじめ、京大理学部3 回生のころだった。いろいろ読んだ本の中に、伊谷さんの『チンパンジーの原野』があった。第1 章に書かれた「焼けた枯れ草の炭素が、朝陽を受けて鉱物質のきらめきを発する」という、マハレ東方・イプンバ山の描写に強烈な印象を受け、「原野に行ったなら、けもののようになって帰ってくる」というトングウェの言葉に胸を躍らせた。カソゲ、マラガラシ川、ルグフ・ベーズン、フィラバンガといったマハレ周辺の地名も、同時に記憶に刻み込まれた。私は、こんな文章が書ける人について勉強したいと思い、人類進化論研究室の受験を決意したのだった。
 人類進化論の修士でトカラ列島を調査した後、博士課程でザイール(現・コンゴ民主共和国)のボノボの調査地ワンバに赴いた。私は「サル屋」ではなく「ヒト屋」だったので、調査対象はその地域に住む人々だった。しかしマハレのことは、大学院在学中も、そして就職してからもいろいろ読んだり聞いたりしていた。西田さんが見せてくれたチンパンジーの子殺しのビデオ(まだラッシュの段階だったが)にはショックを受けた。2007 年に京大に帰ってきて、相互行為に関する研究会を始めたが、そこにはヒト屋だけでなく、チンパンジーをやっている若いサル屋たちも続々と参加するようになった。そこでもまた、さまざまな形でマハレの話を聞くことになった。そういった意味で、マハレは私にとってとても親しい場所だったのである。
 しかし私は、還暦を迎えようというこの歳になるまで、マハレはおろかタンザニアの土を踏む機会も持てなかった。大げさに言えば、マハレは死ぬまでに一度は訪れたい場所だったのである。コンゴで一緒に研究している松浦直毅君が2018 年からマハレ周辺で人類学的調査を始めており、また「マハレ珍聞」の編集担当もしている島田将喜君がダルエスサラームから案内してくれるというので、二人に先達をお願いして、マハレに赴くことを決意したのだった。
 2019 年7 月24 日、ドバイの空港で島田君らと合流し、ダルエスサラームへ。市内やSlipway を案内してもらうが、猥雑なキンシャサとは違い、静かで落ち着いた街だった。26 日、飛行機でキゴマに向かう。乾いた大地にポツポツと灌木が生えた景色が眼下に広がる。雲に飛行機のブロッケンが映っていた。キゴマは想像していたより起伏に富む地形だった。ホテルの高台の下にタンガニイカ湖が広がり、それを見ながらキリマンジャロ・ビールを飲んだ。市街から少し北にいった町では、私の指導学生の井上(村)満衣さんが学校教育の調査をしている。そこにはマハレから帰った後に寄ることになった。
 27 日朝、チャーターした乗用車でマハレへの船着き場のある町カトゥンビへと向かう。乾燥した道路で、ザックは埃まみれである。途中、広い川をフェリーで渡る。「これが伊谷さんの本に出てくるマラガラシ川ですよ」と島田君が解説してくれた(写真1)。ルグフ川は橋で越えるが、その上流は60 年代初めにチンパンジー調査基地のあったカサカティだそうだ。カトゥンビに着いたのは14 時40 分、先に来ていた松浦君が出迎えてくれる。



写真1 マラガラシ川



 28 日朝、宿主の老人と片言のスワヒリ語で話すが、「イタニを知っている、彼は短い間来ていた」と言っていた。カワナカやウエハラももちろん知っているそうだ。柏手を打って挨拶してくれた。エアストリップにある公園事務所で手続きを済ませ、10 時15 分、松浦君、ガイドのフセイン氏とボートで出発。マハレ半島を回り込むにつれ、湖岸の乾燥した疎林が、みっしりと葉をつけた森に変化してきた。タンガニイカ湖を渡る風がマハレ山塊にぶつかって雨を降らせるのだ。30 分ほどでカシハの港に着く。ロッジは自炊で、とりあえず松浦君と飯を炊き、カトゥンビで買ってきた魚を料理した。
 13 時過ぎからさっそくチンパンジーを見に出かける。涸れ川を渡るが、昔ビデオで見た、当時アルファメールだったントロギが大石をひっくり返して暴れていた場所だろうか。植生はワンバの熱帯林に比べれば疎で、「東に行くと必ず登り」である。観光客が歩き回る地域にはトレイルが整備されており、交点に道標が立っている。“TAKAHATA” と書かれた道標を見つけて驚いた(写真2)。ワンバの果てしなく広がる森に慣れている私は、箱庭に入ったような感じがした。15時20 分、やっとチンパンジーを見つける。なにか責任を果たしたような気がした。オモとオマリという母子だと、フセインが説明してくれた。この日は、オスはほとんど見ることができなかった。



写真2 TAKAHATA の道標






写真3 グルーミング・クラスター



 29 日は朝から昼まで観察である。一度カンシアナ・キャンプを見たかったので、最初に連れて行ってもらう。途中、キャンプから降りてくる島田君に出会った。キャンプはブロック造りの立派な建物で、西田さんが捨てた種から生えたというレモンの木があった。その後、パントフートを手がかりに森の中を行ったり来たりするが、11 時過ぎにオスの集まりを発見した。2 頭でグルーミングをしていたと思ったら、そこに他の個体が寄ってきて、4 〜 5 頭の塊ができた。中村美知夫君の言うグルーミング・クラスターというやつである(写真3)。彼らはゆっくりと、体の位置を変えながらグルーミングを続けた。熱心なことはわかるが、なぜそのように続けなければならないのかが結局のところよくわからない。西江仁徳君の言う「認知的強靱さ」という言葉が頭に浮かんだ。人間と近いが、しかし決して理解し尽くせない彼らに会うために、みんなここに来て研究を続けているのだ。際限なく続くグルーミングをビデオに収めながら、私はそんなことを考えていた。

(きむら だいじ・京都大学)



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