第32回 オスカー

紹介者 西江 仁徳

 

 目がぱっちりと大きく、幼年にもかかわらずおでこから前頭部にかけて大きくはげあがった顔立ちは母親のオパールにそっくりで、美男子とはお世辞にも言えない容姿ながら、どことなく憎めない愛嬌を漂わせていたのが懐かしく思い出される。過去形で書かなければならなかったのは、彼が2006 年にM 集団に蔓延した風邪の犠牲になって亡くなってしまったからなのだが(マハレ珍聞第8 号、花村俊吉『12頭の精霊』を参照)、それから12 年が経ってもなお私にとってとりわけ印象深いチンパンジーであることに変わりはない。
 オスカーは1998 年7 月生まれで、私が初めてマハレに行った2002 年にはまだ4 歳になったばかりのやんちゃ盛りの少年だった。母親のオパールは、長女ルビー、その弟のオリオン、さらにオスカーを離乳させ、またルビーが転出せずM 集団にとどまって出産したため、この頃には三世代が集う「大オパール一家」を形成していた(マハレ珍聞第8 号、西田利貞『マハレのチンプ(ん?)紹介 第8 回 オパール』参照)。



写真 在りし日のオスカー



 私は主にチンパンジーの母子を対象に調査していたので、オパール一家は格好の観察対象だった。なにしろ母子だけでなく、祖母と孫、姉弟、おじと姪、といった血縁関係が、オパール一家を見ているだけですべて目に入るわけで、しかも離合集散するチンパンジー社会にあってオパール一家は比較的よく一緒にいたため、より追跡しやすかったということもあって、オパール一家と一緒に過ごした時間はどんどん長くなっていった。
 そんななか、私にとってオスカーが忘れがたいのは、なんといってもM 集団で唯一の「落ちこぼれ」だったからだ。マハレのチンパンジーは道具を使って樹上に生息するオオアリを釣って食べる文化をもつことが知られていて、私の調査はこのオオアリ釣り行動の発達や学習過程を明らかにすることを主眼としていた。そのため、まずはすべてのチンパンジー個体について、オオアリ釣りを確認した個体をチェックし、とくにアカンボウやコドモについてはいつからオオアリ釣りをはじめたのかを確認する作業を進めていた。2002年から始めたこの確認作業で、2004 年時点でオスカーだけがまだオオアリ釣りすることを確認できていなかったのだが、たんなるチェック漏れだろうと思い込んでいた。
 2004 年5 月のある日、私は座馬耕一郎さん(現・長野県看護大学)と一緒にオパール一家を観察していた。この日は座馬さんがオスカーを追跡して、私は一緒にいたルビーとその娘のルビコンを中心に観察をしていた。そして、1 本の木にやってきたオパール一家がオオアリ釣りを始めたとき、私も座馬さんもたちどころに「オスカーはオオアリ釣りができない」ことがわかってしまったのだった。
 オオアリ釣りをするには、木の表面にある小さなアリの巣穴に、樹皮やツル、葉などを加工した細い棒を差し込んで、その棒に噛みついてきたアリをゆっくり引き出して食べる、という手順になる。オスカーは、木の表面に出てきたアリを直接手で拭きとるようにして食べたり、棒を作って穴に入れようとしたりすることはできるのだが、なぜか一度も棒を穴に挿入することはなく、棒を持った手を使って(ただし棒は使わず)せっせと木の表面のアリを拭きとるようにして食べていた。見ている限りでは、オスカーはアリを食べ物だとは認識していて(実際に食べている)、棒が必要なこともわかっているようで(自分で作っている)、巣穴の存在も気づいているようなのだが(穴に近づいて見ている)、なぜか「棒を穴に挿入する」ことだけができない様子だった。しかも面白いことに、自分でも「うまくできていない」ことがわかっているようで、母親のオパールがオオアリ釣りをしているのをすぐ近くで覗き込んでは、不満気な声を出して戸惑う様子を見せていた。私と座馬さんはその様子を見ながら思わず爆笑してしまっていたのだが、他のチンパンジーたちはオスカーの「窮状」を知ってか知らずか目立った反応はまったくしておらず、とくに関心がないようだった。
 どうしてオスカーはオオアリ釣りがうまくできるようにならなかったのか、そのときもわからなかったし、今もまったくわからない。ただ言えることは、その後オスカーが成長する過程でオオアリ釣りをできるようになったのかどうか、もしできないままだとしたらどうなっていたかを観察する機会が永遠に失われてしまったということだ。栄華を極めたかに思われたオパール一家のうち、オパールとオスカー、ルビーとその娘たちが2006 年の風邪の流行で命を落としてしまい、現在まで生き残っているのはオリオンただ一人になってしまった。いつも仲良く連れ立って歩いていたオパール一家の面々や、オオアリ釣りがうまくできなくて困っているオスカーの姿がもう二度と見られないと思うと、残念でならない。

(にしえ ひとなる・京都大学)



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