第10 回 心理学者を実験室から
連れ出してマハレに

島田 将喜

 

 通いなれた道でも、一緒に歩く連れあいが誰になるかで風景の見え方が違ったり道端の草木の豊かさに気づいたりすることがあるものです。

 前号(マハレ珍道中第9 回)で、認知心理学が専門で普段は室内での実験を行っている高橋康介さんが、2017 年夏にマハレ地域のカトゥンビ村に滞在した経験を記事にされています*。今回は高橋さんをマハレに連れて行った私の経験をお話ししたいと思います。フィールドワークの経験のまったくない日本人をマハレに案内するという経験は非常に斬新で、私にとってもまさに珍道中そのものでした。
 



写真1 日陰のある場所を即席の「実験室」に






写真2 「実験」の様子。いつも人だかりができる



 マハレは、アクセスしやすくなってきたとは言え、今もたどり着くだけで日本からは1週間ほどはかかってしまう、タンザニアの最奥地のひとつです。毎年のチンパンジー調査のための渡航で馴れている私たちにとっては、その道中を楽しむ余裕(「珍道中」のネタを探す余裕も!)もありましょうが、経験のない方やそのご家族は、滞在中はもちろん出国前も心配事が多いことでしょう。「高橋さんを元気にご家族のもとに帰す」。今回の渡航に限って言えば、私にとってもこれこそが最大のミッションでした。そしてそれには普段することのない準備や気遣いが必要でした。

 たとえば私は(自分ではなく)高橋さんの体調管理にはずいぶん気をつけました。初めての土地で緊張して気づかないうちに無理を重ねると、マラリアなどの病気も発症しやすくなります。また何と言ってもまずご飯が美味しく感じられないところでは仕事はできません。そういうわけで高橋さんが「タンザニアは食べ物が美味しい!」と言って、どこへ行ってもたくさん食べるのを見るたび、私はホッとしていました。カトゥンビにいても村の人たちとお酒を飲んで笑い合ったり、ゲームをしたりと、そうした日常生活を元気に楽しんでくれたのは何よりでした。最近はカトゥンビでもインターネットが普及してきて、日本のご家族とも連絡が取れていたこともストレスが少なくて済んだ要因かもしれません。

 高橋さんが少々危ない橋を渡っているように見えてハラハラする場面もありました。せっかく遠くマハレまで来て、短い滞在期間であっても、心理学者として最低限の仕事をこなしたい高橋さん。日本で準備してきた心理学実験は、誰でもどこでも簡単・短時間で済ませられるゲーム形式のものですが、多くの有志の方々に個別に参加していただいて、はじめてデータが集められます。最初のうちは、私やアシスタントが知り合いに声をかけて実験に参加してもらっていました。しかしカトゥンビは数千人規模の村ですので、知らない方も多くいます。ふと気づくと、高橋さんは自分で暇そうにしている方にどんどん実験参加を呼びかけていきます。中には私ならちょっと付き合いを遠慮したい感じの方も。高橋さんからすると、全員が知らない人なので、誰に声をかけるのも同じことだったのかもしれません。私は、実験をできるだけ多くこなそうとする高橋さんから少し離れて、実験中にトラブルが起こらないよう見守り、また立ち去った後のトラブルの種を残さないよう個別にフォロー(話を聞いたり、お礼をしたり…)しながら高橋さんの後をついて回る。その繰り返しで実験は進められたのでした。



写真3 村の若者たちとゲームをして遊ぶ



 高橋さんと一緒に村に滞在していると、私一人の滞在時にはあまり感じない、村人たちの遠方からの旅人に対する寛容さやサービス精神、そしてそのありがたみに気づかされました。高橋さんがやすやすと村の人々に受け入れられたのは、彼独特の人懐っこさやフィールドワーカー顔負けの行動力が背景にあるに違いありません。世界のどこでも、言葉はそれほどわからなくても、きっと笑顔でそこにいる方々と接せられることこそが、安全にそして充実したフィールドワークを続けてゆくためにもっとも必要なことなのだと、あらためて教えられた気がしました。

 最後に高橋さんとの珍道中で、私にとってもっとも印象的だったのは、この私自身についての発見があったことです。これまでトングウェの人々と私や他のチンパンジー研究者が長年対話して積み上げてきた関係性の中に、(イマイチ事情の呑み込めていない)異質な日本人の高橋さんが加わったのが今回のマハレ渡航でした。私はいわば高橋さんとトングウェ、私と高橋さんの関係を間近に見て、比較することで、私自身のフィールドでの心構えや気持ちがいかにトングウェの人々に近いところにあって、またある場面では日本人にすぎないかということを強く意識することができました。少し硬い言葉でいえば「私とは誰なのか」と問う人類学という学問をこれまで続けてきて、偶然にも、学問そのものとは別の形で、私は知りたかった答えに近づけたのかもしれないと目を見開かされた道中でもありました。



写真4 どこにいても村の子どもたちが大勢集まってきた



 今年の夏もまた高橋さんとマハレへ同行する予定です。どんな珍道中になるか、今からとても楽しみです。

(しまだ まさき・帝京科学大学)



* 心理学ワールド81 号(https://psych.or.jp/publication/world081/pw23) もご参照ください。

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