第30回 バディリ

紹介者 桜木 敬子

 

 メスのチンパンジーが赤ちゃんを背に乗せて運んでいるからといって、彼女が母親であるとは限りません。母親に信頼を寄せられた、「ベビーシッター」かもしれないのです。現在3歳になるラジュアの息子にとって、バディリはそのような存在です。前号でご紹介したように、子のいないバディリと子持ちのラジュアは、いつも一緒の仲良し二人組です。初めのうち私は、バディリが赤ちゃんを構いたいがために、ラジュアとつるんでいるのかと思っていました。自分に子のない若いメスは、ほかのメスの赤ちゃんを構いたがることが多い、と本で読んだからです。が、二頭がMグループに入ってきた2010年当時から観察している先輩研究者たちによると、当初から彼女たちはよく一緒にいたそうです。おそらく、仲良しのラジュアが子供を生んだからこそ、バディリはその子を格別にかわいがっているのでしょう。



写真 カメラ目線のバディリ


 ラジュアは、容易に子供を他のチンパンジーに預けるような、放任タイプの母親ではありません。むしろ、何かあるとすぐに飛んで駆けつける、心配性タイプです。が、あるときの観察中、ラジュア親子とバディリが移動を始めたのでついて行き、途中少し見失って再び見つけたときには、バディリと赤ちゃんの二頭しかいなかったことがありました。まるで本物の親子のように、樹上でバディリはアリ釣りをし、赤ちゃんは数メートル離れたところで暇そうにしていました。そのとき、ごく近くで人の声がしました。森の中で、離れたところにいる人同士がやりとりをするときに出す、「ホ〜〜」というよく響く高い声です。途端に赤ちゃんは、「フウ、フウ、フウ」と小さく泣き始めました。バディリはすぐに赤ちゃんの元へ行って彼を抱きかかえ、樹を下りて歩き始めました。15分ほど行くと、ラジュアがいました。最後に三頭で一緒にいた場所からすると、ラジュアだけが大きく先へ進んでいた格好でした。再び「フウ、フウ」と声を出し、母親に抱き上げてもらう赤ちゃん。その後、三頭はいつものように一緒に移動を始めました。

 バディリ自身は、比較的肝が据わったタイプです。たとえば、近くにヒョウが潜んでいそうな緊迫した雰囲気のとき、誰かがたまらず「ヒャ!」と悲鳴を上げると、「大丈夫だよ」とでも言うかのように、そのチンパンジーの肩をポンポンとたたいたりします。オスたちに積極的に近づいて「挨拶」をするのも、バディリです。一方ラジュアは、すぐに緊張し、赤ちゃんを抱えて逃げ出して、遠巻きに見ていたりします。が、ラジュアは心配性な割に、上の例のように子供から目を離していることも少なくありません。そんなときは、代わってバディリが行き届いた目配りを行い、少しでも「危険かも」という状況があれば(あるいは、「ラジュアなら危険と感じるかも」という状況があれば)、赤ちゃんを抱き寄せたり、母親の元へ返したりと手助けをするのです。また、赤ちゃんがよその子に泣かされれば、問答無用で相手の子を怒ります。バディリが見ていてくれるはずだ、と思うからこそ、ラジュアは安心して我が子から目を離していられるのでしょう。

 目下気になるのは、いつかバディリにも子供が生まれたら、彼女たちの関係がどう変わるのだろう、ということです。バディリは今のように、ラジュアの子を構うことはできなくなるでしょう。でも、ラジュアの子がお兄ちゃんのように、バディリの子をかわいがるようになったらいいよなあ、と思います。

(さくらぎ ひろこ・京都大学)



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