第29回 ラジュア

紹介者 桜木 敬子

 

 ラジュアを初めて見たのは2015 年7 月中旬、私が研究者としてマハレに入って間もない頃でした。彼女は樹上でイクビラと呼ばれる植物の実を食べており、すぐそばに1 歳と少しになるオスの赤ちゃんが座っていました。赤ちゃんは右手ないし右腕にけがを負っていたようで、ひじから下をほとんど動かせていませんでした。当時の写真を見ると、毛ヅヤが悪く、目にも力がなくて、思わず「大丈夫か!」と声をかけたくなります(今はけがも治り、すっかり元気です)。そんな我が子を、若く育児経験の少ないラジュアは、大変気にかけていました。息子のほうから少しでも「がさっ」と葉擦れの音がすれば、目を見開いて大きく振り返り、無事そこにいることを確認すると、ゆっくりと食事に戻る、という風です。子供が枝をつかむことのできる手は片方だけだったので、樹から落ちたりしないかと心配だったでしょう。


写真 ラジュアとアカンボウ


 とはいえ、ラジュアはそもそもが、心配性で警戒心の強いチンパンジーです。とくに地上にいるときは、チラチラと私たち観察者のほうを見やり、子供を胸に抱え込みます。周りに他のチンパンジーがいないときは、より不安になるのか、なかなか追わせてくれません。そういう意味では、グループの仲間たちを頼りにしているのかもしれませんが、仲間に対して自分から近寄っていくことはあまりありません。

 ラジュアはしかし、大変心強い存在に恵まれています。いつも行動を共にする、バディリという同い年くらいのメスがいるのです。バディリは2010 年、ラジュアとほぼ同じ頃にM グループに入ってきました。子供はいません。彼女はラジュアにとって、社会への窓のような存在かもしれない、と私は思います。というのも、バディリはラジュアと違って、社交的なのです。たとえば、ありがちなのはこんなシーンです。パフィーというメスのいる場所へ、二頭がやってきます。バディリはラジュアから離れ、パフィーに近づき、すぐにパフィーとのグルーミングを開始します。しばらくすると、遠くにいたラジュアもやってきて、(手抜き気味ではあるものの)パフィーとグルーミングをします。最終的には、バディリとラジュアが再び一緒になり、その場を去ります。人間で言うなら、二人はプライベートでの親友あるいはパートナー同士で、他のチンパンジーたちは学校や職場のような、少しパブリックな場での友人ないし仲間、といった感じでしょうか。もしもバディリがいなかったら、ラジュアは他のチンパンジーたちとうまくつきあえていなかったかもしれない、と思います。でも逆に、頼れる「親友」がいなければ、なんとかして自ら、仲間との交流を積極的に図っていたかもしれない、と思うこともあります。

 バディリはまた、ラジュアの子の専属ベビーシッターのような存在でもあります。おそらくは生まれた頃から、母親だけでなくバディリともずっと一緒に過ごしてきたであろうこの赤ちゃんは、当然、彼女にとてもよくなついています。母親でなく、彼女のほうについていくこともよくあります。なんといっても、過保護気味なラジュアから、まだおっぱいを飲んでいる途中の赤ちゃんを引きはがして運んで行っても怒られないのは、バディリだけでしょう。そんな大胆なこと、そもそも他のチンパンジーは試みないので、断言はできませんが…。次回はそんな、ラジュア親子を語るのに欠かせない存在、バディリについてお伝えします。

(さくらぎ ひろこ 京都大学)



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