追悼 根本利通さん

中村 美知夫


 2017 年2 月に根本利通さんがお亡くなりになりました。根本さんは、1994 年のマハレ野生動物保護協会の創設に携わったお一人で、タンザニアでの事務局長として長年に渡って協会を支えて下さった方です。カトゥンビ村での小学校・診療所の建設など、当協会がタンザニアでおこなった事業のほとんどは、根本さんがいなければ不可能な事業だったと言えるでしょう。


写真1 2015 年のマハレ50 周年記念イベントでの根本さん(右)。


 長年ご家族と共にダルエスサラームに在住されていたため、誰よりもタンザニアに詳しい日本人でした。私が最初にタンザニアに行った際には、ダルエスサラームの日本人補習校の先生をなされており、後にジャパン・タンザニア(JATA)・ツアーズという旅行会社を設立しました。タンザニアを訪れる研究者は、まずJATA の根本さんのところに行き、タンザニアの近況を教えてもらっていました。日本ではあまり会うことのない、異なる分野の研究者と根本さんのオフィスで出くわす、ということもしばしばでした。調査用の車やタンザニア国内線の手配をしてもらった研究者も多いことでしょう。その中でも、マハレの研究者にはとくに目をかけて頂いていたように思います。



写真2 マハレの研究者はしばしばダルエスサラームの根本さんのご自宅に招いて頂いた。
写真はおそらく1995 年のもの。後列右端が根本さん。



 貧乏学生だった私は、マハレの行き帰りにはほぼ毎回根本さんのお宅に泊めてもらっていました。娘さんが小学生だった頃には、学校へのお迎え運転手役を仰せつかることもしばしばありました。タダ飯を食わしてもらうだけの私が引け目を感じないようにと、ご配慮下さったのだろうと思います。最近では、京都大学のフィールドステーションに宿泊することが多いですが、それでもフィールドへの行き帰りには必ずご自宅に招待して下さり、ご馳走して下さいました。そうした場でも、「今年は誰がマハレに入るのか」「期待できる新人は入ったのか」等々、常に心配をして頂いていたように思います。長い間、マハレの研究を支えて下さった根本さんのご恩に報いるためにも、今後も私たちはマハレでの研究を継続・発展させていかねばならないと思います。
 一方で、根本さんの学者としての側面も忘れてはなりません。『タンザニアを知るための60 章』(共編著、2006 年、明石書店、『タンザニアに生きる―内側から照らす国家と民衆の記録』(単著、2011 年、昭和堂)などの優れた著作を手がけています。長年タンザニアに暮らし、内側から見ているからこそ描き出せるタンザニアの姿でした。
 6 月3 日には、品川で「タンザニアを愛した根本利通氏の軌跡」と題した追悼のイベントが開催され、300 名を超える人たちが参加しました。参加者の中には何十年ぶりかに再開したといった方々もけっこういたようです。根本さんが「ハブ」となって繋いでこられた多様な人々のネットワークの一端を垣間見たように思います。根本さんとの懐かしい想い出を振り返りつつ、時に笑いもこぼれる。そんなイベントでした。

 心より哀悼の意を表します。どうぞ安らかにお休みください。

 (なかむら みちお 京都大)



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