大蛇との遭遇

報告者 花村 俊吉

 

 雨季も半ば、2014年2月28日の昼前、私は調査助手ふたりと、マハレM集団のチンパンジーのあるパーティを追跡していました。

 轟轟と流れる水の音が地響きのように近づいてくる。もうすぐカシハムト川だ。次第に植生も変化し、湿地帯に突入。縦横無尽に伸びる草や根、蔓に足を取られて思うように動けない。しかしチンパンジーたちは先へ先へと歩を進める。藪漕ぎをしていると、後方にいた調査助手の物音が消える。みなガサガサと音を立てているので、静かになるとその沈黙が目立つのだ。

 「ニョカ(スワヒリ語で「ヘビ」)ー!!!」突然後方から、調査助手の耳をつんざくような大声。慌てて振り返るが藪しか見えない。ヘビがどこにいるかわからないまま必死に藪を漕ぎ、とにかく川へと急ぐ。前方にいたもうひとりの調査助手が、「うわーどこやどこや、わからんけど急げハナムラ、すぐ近くにいるぞ」と叫びつつ血相を変えて戻ってきて、「まじ?どこどこ!」と藪でもがいている私の腕を引っ張ってくれる。私たちのこの騒ぎに何か異変を感じたのか、ヘビの物音や姿を感知したのか、付近に残っていたチンパンジーたちも騒ぎ始める。「ギャー、ウーハ、ウラァー、ホホッホホーゥ、フーゥ。」

 チンパンジーたちの喧噪が収まり始めた頃、何とかカシハムト川に出る。その直後、私たちが出てきた藪と同じ辺りからヌラリとした灰色の巨大なヘビの姿。私の足元をかすめてそのまま川下へと、ときには泳ぎつつ、水面や岩場を滑るように移動してゆく。すぐに見えなくなったが、頭から尾まで、優に2mはあった。私は声も出せず、川の中央付近の岩場で立ち竦む。私たちより先に、やはり岩場に出て様子見していたらしきチンパンジーたちは、ヘビが川に現れるやいなや一斉に二足立ちになり、互いに接触したり抱き合ったりしつつヘビの動きを注視したあと、再び悲鳴や吠え声、恐怖の声とも呼ばれるラーコールなどをあげつつ樹上へ登り、ヘビの去った川下を見ていた。


写真1 肩を寄せてヘビの去った川下を窺う調査助手ふたり。


 貴重な事例だから記録せねばと思うのだが、自分でも驚いたことに、ペンやカメラをうまく持てない。震えていたのだ。後方にいた調査助手は、やって来ると私の手を握り、険しい表情で首を横に振りつつ「奴はハナムラを追いかけていた」と言う。ヘビはそのあと一時岩陰で休んでいたようで、抱き合うようにして恐る恐るヘビの行方を探っていた調査助手ふたりはヘビを再発見して大騒ぎしていたが、私はその場から動くこともできなかった。ようやく撮れた写真は、「いやぁでかかった」とヘビが去った方を見ながら肩を寄せて語り合う調査助手ふたり(写真1)と、やはり川下を見ながら樹上で落ち着きを取り戻しつつあるチンパンジー2頭(写真2)の様子だった。

写真2 まだ少し緊張した面持ちで川下を窺うチンパンジーのオス2頭。


 そんなわけで、ヘビの正体はわかりませんが、大きさや色の特徴からすると、ブラックマンバだったのかもしれません。この事件の5日後、調査を終えてタンザニアのキゴマからダルエスサラームまで飛行機で出てくるとき、座席に挟まれていた観光雑誌の「タンザニアの動物紹介」欄で、口を大きく開け、目を光らせているブラックマンバと再び(?)顔を合わせたときは、笑えませんでした。「世界でも最大級の毒ヘビで、動きも速く、きわめて危険。噛まれたら早急に適切な処置をしないと確実に死に至る。」やれやれ。

 しかし、恐怖や緊張・不安を喚起するできごとと遭遇したとき、身体を触れ合ったりともに叫んだりすることで、そのできごとを仲間と共有しつつやり過ごすのは、チンパンジーも人間も同じだということはよくわかりました。あのときもし私ひとりだったらと思うと、本当にぞっとします。

 そう言えば、この事件の8日前、その日は調査を休んでカンシアナキャンプにいたのですが、近くの湿地帯からチンパンジー1頭のラーコールが何度も聴こえてきて、慌てて駆けつけたことがありました。私と同様、声を聴いてやって来たらしき、ゾラ、グェクロ、パフィーというメスのチンパンジーたちと合流して現場へ向かうと、そこにいたのは彼女らと一緒に遊動することの多いファトゥマというメスとその子でした。私たちが到着すると、ファトゥマは落ち着きを取り戻したようでした。ファトゥマの恐怖の対象が何であったかはわからずじまいですが、それもやはりヘビだったのかもしれません。そして彼女のラーコールは、恐怖の表出であると同時に付近にいる仲間への呼びかけでもあったのではないでしょうか。

(はなむら しゅんきち 京都大学)



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