第22回 ピム

紹介者 島田 将喜

 

  少し前の話になりますが、2011 年10 月2 日にかつてマハレM グループの第一位オスだったピムが 亡くなりました( マハレ珍聞第19 号)。今回はそのピムについての紹介をしたいと思います。

 ピムは1988 年2 月、マハレの名老メス・ファトゥマの長男として生まれました( 珍聞6 号)。同期 にはダーウィンがいます( 珍聞17 号)。私が彼の観察を集中的におこなったのは彼らが13 歳のときです。 チンパンジーのオスがワカモノからオトナへ移り変わる時期の目安は15 歳ころとされますが、その基 準からみるとピムは成長が早く、観察を開始したころには、少し貧弱な体つきをしていたダーウィンと 見比べると、本当に同い年か?と思えるほど「貫禄」がありました。実際すでにほぼすべてのメスから パントグラント( あいさつ) を受けるようになっており、年上のオスであるボノボにも一対一の喧嘩を 売ったりしておりました。狩猟が上手な母親ゆずりの身体能力の高さや母親ファトゥマの強力な支援が あるため、きっと将来大物になろうと思っていましたが、19 歳のとき(2007 年) には案の定、年長の オスたちとの抗争を制して、集団の第一位にまで上り詰めました( 珍聞12 号)。

 2008 年末に私が6 年ぶりにマハレを訪問したさい、彼が年長オスのファナナが捕獲したキイロヒヒ のコドモを横取りし、群がるM 集団のメスたちの中心に腰を下ろし、ヒヒの内臓を取り出して放棄した 挙句、( ピムの口には合わなかったのか) 獲物をすべてメスに持っていかせてしまったのを観察しました。 仲間のチンパンジーたちや異種の動物に対する力を背景とした圧倒的な振舞いでした。またピムは、人 間を自分の威嚇誇示の「道具」として見做していた節があります。研究者や観光客の多くが、彼の突進 を喰らい尻もちをつかされたり、手の平で太ももあたりを叩かれたり、腕ほどの太さのある丸太を投げ つけられたりした経験をもっています。こうした 観察や経験により、私のピムに対する「わがまま な暴君」というイメージは拭い去りがたいものと なってしまいました。ひょっとすると他のチンパ ンジーたちも私と同様に感じていたのかもしれま せん。


写真 のし歩くピム


 ピムが亡くなってからすでに2 年以上が経過しています。この間マハレに滞在した方々からの報告を 聞く限り、当時第二位だったプリムスが第一位のようですが、その立ち位置はピムほど「圧倒的」とい うわけではないようです。ピムは亡くなるまでの4 年にわたって暴君的リーダーシップを発揮したこと になりますが、彼のいったいどのような資質がそのような立場を生み出しえたのか。これを明らかにす ることは、私たちチンパンジー研究者にとっての悲願ですし、また亡くなったピムへの手向けとなるこ とでしょう。

(しまだ まさき 帝京科学大学)



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