第2回 世界最古の定期船の旅
〜遥かなるリエンバ号〜

西江 仁徳


  前回の記事にも書きましたが、マハレにたどり着 くには車が通れる陸路がないため、最寄りの町・キ ゴマから、タンガニイカ湖を150 km ほど南下しな くてはなりません。調査隊が使っている船外機付き の小さなボートで移動することもあるのですが、早 くても6 〜 7 時間程度、波が高くて遅れると10 時 間以上かかることもあり、また船外機が故障したり、 雨が降ったり、波しぶきを浴び続けたりと、何かと トラブルや消耗がつきまといます。船外機を動かす ガソリン代も高くつくので、一人で行き帰りするの に毎回ボートを使うのも少しもったいない感じもし ます。

しかし、ボートを使わなくても、実はこの地域に はマハレが国立公園になるよりもずっと昔から、タ ンザニアのキゴマと南の隣国ザンビアのムプルング を結ぶ定期航路があり、「リエンバ号」という船が 就航しています。マハレの研究者は、1960 年代に 西田利貞先生が研究を開始して以来、しばしばこの 定期船にお世話になってマハレへの往き帰りをして います。今回はこの「リエンバ号」の船旅について ご紹介します。



写真1 湖畔から望むリエンバ号


 このリエンバ号、なんと第一次世界大戦よりも前 の1913 年に建造された船で、今年で建造100 周 年になります(写真1)。当時この地域を治めてい たドイツが、タンガニイカ湖で運航するために建造 した貨客船で、最初にドイツで建造されたあと、いっ たん分解してインド洋岸の町・ダルエスサラームに 輸送され、さらにそこから列車でタンガニイカ湖畔 の町・キゴマまで運搬されたあと、再度組み立てら れました。1915 年に貨客船として就航し、第一次 世界大戦中にはイギリス軍との交戦のために、砲艦 としての任務も果たしていました。1916 年にはイ ギリス軍の侵攻を受けてキゴマ地域から撤退したド イツ軍によって一度この船はタンガニイカ湖底に自 沈させられましたが、1924 年にイギリス軍によっ て引き揚げられ、修理後に現在の貨客船リエンバ号 として運航を再開しました。その後何度かオーバー ホールや修理を重ねて、現在も現役定期船として多 くの積み荷と乗客を運んでいます。



写真2 乗船するために小舟でリエンバ号に接近する


 さて、この船での旅ですが、キゴマを出たあとは 終点のザンビア・ムプルングまでほとんど港に着岸 しません。そのため、途中で降りるには、湖上の停 泊場所で岸からやってきた小舟に乗り移って、岸ま で運んでもらわなければなりません。乗船する場合 も同様で、岸から小舟で停泊場所に近寄っていき、 小舟と人がひしめき合っている乗船口に飛び移らな ければなりません。週に南行き/北行き各1 回のリ エンバ号の通過は、停泊地近くの村人たちには一種 の「祝祭」のような特別な日になっているようで、 小舟で漕ぎ出してリエンバ号へ向かう人々はやや興 奮気味です。リエンバ号に横付けしようとしている 小舟の船頭たちは、大声で何やら叫んだり罵り合っ たりしていて、リエンバ号の上から眺めている分に はいいのですが、自分がそこに突入していくのは かなり気合が要ります(写真2、3)。マハレの往 き帰りに使う停泊場所に着くのは夜のことが多いの で、真っ暗な中で小舟からの乗り降りをするのは、 湖に落ちたり小舟の間に手を挟んだりしそうで毎回 ヒヤヒヤします。また、出航が遅れたりすると、停 泊地への到着が大幅に遅れることもしばしばで、し かもいつ到着するのかがわからないので、マハレか らの帰りに利用するときには、停泊地近くの村で丸 一日以上待たされることもあります。


写真3 リエンバ号への乗船


 そんな乗り降りの大変さはあるのですが、乗って しまえば快適そのもの。大きな船なので揺れること もほとんどなく、小さなボートのように雨風や水し ぶきを浴びる心配もありません。一等客室には二段 ベッドがあって快適に眠れますし、食堂やトイレも あるし、シャワーも浴びることができます。さすが に船は老朽化のあとがあちこちに見られますが、そ れでも日本でフェリーの船旅をするのとそれほど遜 色のない、とても快適な旅ができます。何より、こ の船が100 年前からこの同じタンガニイカ湖の風 景の中を行き来しているのかと思うと、デッキを吹 き抜ける風に悠久の歴史を感じられるような気がし て、少し贅沢な気分を味わえます。

(にしえ ひとなる 京都大学)



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