私、プロのダンサーになりました!?

松本 卓也


 2013 年9 月、私は1 年にも及ぶマハレ滞在を経 て、無事に日本へ帰ってきました。プロの研究者と して認められるため、日々チンパンジーの観察に励 んでいた私ですが、ひょんなきっかけで、研究者と なるより先にプロのダンサー(!)になってしまっ た…そんなちょっとおかしな話をしてみたいと思い ます。2012 年12 月31 日、年内最後のチンパンジー 観察を終えた私は、国立公園主催のニューイヤー パーティに出席し、満天の星空の下、カトゥンビ村 の知人や国立公園のスタッフと談笑しながら、新年 を待っていました。しかし、私の胸中はあまり穏や かではありませんでした。



写真1 酔っぱらう調査アシスタント
( 真ん中がルフンガ青年)


 パーティが始まる前に、国立公園でドライバーの 仕事をしているジョージという人がやってきて、「タ クヤの踊りを動画で見たよ。とても良かった。このパーティでも、タクヤのダンスショーの時間を用意し てあるよ!」と言われたのです(当然のように、何の事前連絡もなく!)。ちなみに、私は1 年ほど前に アシスタントの結婚式の余興でちょっとしたダンスを披露したことがあるのですが(参考:マハレ珍聞第 18 号)、どうやらその時撮影された動画が人から人へ伝わって、私は地元住民たちから「日本人ダンサー」 と認知されているようなのでした。

 さて、新年を迎え、ぬるいビールで酔いも回ってきた午前2 時。雨の影響で到着が遅れていた来賓が挨 拶を終え、そろそろパーティもたけなわといったところ。タキシード(のような服)に身を包んだジョー ジが壇上に出てきて、マイクを手にしたかと思うと「みなさま、来賓も到着したところで、ダンスショー の時間です!チンパンジーの研究者タクヤと、アシスタントのルフンガです!」と声高らかに紹介してく れました。森の中では私のアシスタント、しかし森を出れば私のアフリカンダンスの先生であるルフンガ 青年は、いつの間にか白のスーツに着替えて準備万端の様子。恥ずかしがる私の手を引いて広場の中央ま で連れてきてくれます。DJ の選んだ曲に乗って、私とルフンガのダンスショーが始まりました。

ダンスショーと言っても、ルフンガと事前に打ち合わせなどはしません。私の動きにルフンガが合わせ る、もしくは逆に私の方がルフンガの動きを見よう見まねで踊ります。私は高校時代にマイケルジャクソ ンのスリラーの振付を学園祭で練習したことがあり、その振付をやってみるのですが、いまいち観客の反 応は薄いです(もちろん、マイケルジャクソンが悪いわけでは決してないですが)。それよりも断然タン ザニアで盛り上がるのは、腰に手を当て、腰だけをクイックイッと動かすダンスです。何度か踊ってみた私の結論は、「腰のキレが命!」です。観客から歓 声が上がると、こちらもだんだんのってきて、酔い も手伝って楽しくなってきます。そんな中、さきほ ど到着した来賓の方と思しき人が、踊りながら私た ち二人のところへやってきて、ちょうど勝利したボ クサーの手を審判が持ち上げるときのように、お互 い踊りながら、私の手を握って高々と掲げたのです。 そのとき握られた手の中で、私は5,000 シル紙幣(日 本円で400 円ほど、現地アシスタントの日給程度) を密かに渡されたのでした。私がプロダンサーとし て認められた瞬間でした。


写真2 ステージとDJ


 彼らタンザニア人にとってダンスは特別な意味合い があるらしく、例えば披露宴のお色直しの後、新郎新婦が登場するときには音楽に合わせて体を揺らしなが ら出てきます。今回のパーティでは、国立公園職員の年間功労賞の授与が行われたのですが、ダンスミュー ジックが流れてきたかと思うと、賞状を渡す側ももらう側も一緒になって楽しく踊りながら賞状授与が行わ れていました。私の場合、「よくわからないけど日本人がノリノリで踊っている!」ということで、現地の方々 が興味をもってくれたのかもしれません。これからもプロのダンサーとして(?)、ダンスを通じて現地の人々 と交流する機会を持ち続けられればと思っています。

参考動画:花婿の村でのダンスショー
http://www.youtube.com/watch?v=gcViFfEn4gQ&feature=plcp

(まつもと たくや 京都大学)



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