第1回 空港で飛行機を人力で押す

西江 仁徳


 マハレの調査地はタンザニアのなかでも「ド田舎」の山の中にあり,タンザニアに入国してから先もかなり長い道のりが待っています。通常は,タンザニアの玄関口・ダルエスサラームに到着後,国内線の飛行機でタンガニイカ湖畔の町・キゴマへ飛び,さらにそこからタンガニイカ湖をボートで丸1 日かけて南下して,調査地であるマハレ山塊国立公園に到着します。調査を終えるとちょうど逆の道程で帰国の途につくことになります。

 今回の事件に遭遇したのは,昨年2012年の秋の調査を終えて,帰国途上のことでした。ちょうどキゴマの空港の滑走路が工事中で,通常の国内線の旅客機が着陸できないため,小型のセスナ機でキゴマを発ってダルエスサラームへ戻ってくる予定でした。

 セスナ機は13人乗りで通常の旅客機に比べるとかなり小さく,ちゃんと飛ぶのかなんとなく心細い感じがするのですが,そのときも満員の乗客とたくさんの荷物を乗せて,定刻よりかなり遅れてキゴマを出発しようとしていました。私はこの日のうちにダルエスサラームに到着しないと帰国便に間に合わなくなるため,予定通りちゃんと出発してくれることを祈るような気分でした。ようやくセスナ機が滑走路の端に向かって走り出して,無事に離陸できそうだと安心しつつあったところ,滑走路の端でU ターンして離陸準備に入ろうとした機体が,突然動かなくなりました。パイロットも焦ってプロペラを全開にして回し始めたのですが,機体はびくとも動きません…。

 やがてパイロットがエンジンを切って機体から降りて周囲を調べたあと,おもむろに後部のドアを開けて,「全員降りてくれ」と指示されました(あぁ,もう今日は目的地まではたどり着けない,と私は観念しました)。降りてみると,なんと機体の車輪が滑走路の端の未舗装部分のぬかるみにはまって動けなくなっていました。小型機専用の飛行場ならいざ知らず,国内線の旅客機が飛んでいる地方空港の滑走路に「未舗装部分」があることにまずは驚きましたが,空港設備もあまり整っておらず,こうした飛行機を牽引できるような特殊車両もありません。しばらくすると空港ターミナルの方から「消防車」がやってきて,消防隊員たち(確かに消防服を身につけています)がスコップを取り出して,地面のぬかるみに埋まった車輪を掘り返し始めました。結局人力で押すしかない,という結論になったようで,スコップで少し掘りかえしては押す,という作業を繰り返しはじめました(写真1)。パイロットは機体に不用意に手で触れられるのが気に食わないらしく,機体を押そうと集まってきた人たちをそこら中で怒鳴り散らしています(そんなに怒鳴らなくても…とも思う一方で,これから自分もこの飛行機に乗って飛び立つので壊されるのも確かに困る,という複雑な心境でした)。


写真1 ぬかるみに埋まった飛行機の車輪を掘り返す消防士たち


 空港の外にある空き地に集まってきた野次馬たちも何やら騒ぎ立てています。立っているだけでも汗が流れてくるような炎天下,掛け声をあげながら数十分ものあいだ掘っては押し,押しては掘り,を繰り返し,みんな汗だくで必死の形相ですが,なんとなく「盛り上がって」「楽しそう」にすら見えてきました。やがてついに機体がグラリと動き出し,ぬかるみを脱出してゆっくりと動き出しました!周りの人たちも拍手と大歓声です。そのままゆっくりと滑走路の「舗装部分」までみんなで押していってようやく作業完了し,消防士たちは消防車に乗りこんでターミナルに戻っていきました(写真2)。最初は頼りなく見えたけど,いまや一仕事終えたヒーローの後ろ姿です。感謝。


写真2 力を合わせて飛行機を押す人たち


 やれやれ,なんとかこれで出発できる,と安心して再度機体に乗り込んだところ,パイロットが空港の地上係員につかまっていて戻ってきません…。いやな予感がします。

 しばらくしてパイロットが戻ってきて言うには,さっきの「手押し飛行機」のときに手伝いにきていた人のなかに,正規の空港職員以外の「エキストラ」(要するに無関係な一般人)が紛れ込んでいたらしく,そのためにあらためて取り調べをして警察へのレポートを提出する必要があり,いまから警察が来るからそれまで離陸は待機せよ,とのこと…。いったいいつになったら出発できるのやら……。

 その後さらに小一時間も,地上でパイロットと空港職員,さらには乗客の一部も交えて押し問答を繰り返し,しまいにはパイロットがまたしても怒鳴り散らしながら戻ってきて,ようやく離陸できることになりました。パイロットがイライラしているのが伝わってきて,どうか冷静に操縦してくれますように…,とまた心の中でお祈り。なんとかこの珍事件を乗り越えて,無事離陸しました。ところが出発が散々遅れたせいもあって,経由地への到着が日没後になり,しかもなぜか経由地の空港の電気がついておらず真っ暗で,パイロットがあたふたしながら地上管制官と交信しながら空港の位置を探し始めました。今度は無事に着陸してくれるのを祈るのみ…です。もう今日一日で何度お祈りしたかわかりませんが,祈りが通じてなんとか無事に着陸できました。乗客一同,拍手喝采,ほっと胸をなでおろしています。その後も無事に乗り継いで,なんとか予定通り帰国することができました。

 飛行機の旅でこれだけのトラブルになったのはこれが初めての経験でしたが,トラブルになっても基本的に「人力」でなんとかするあたり,いかにも「タンザニアらしい」事件だったなと,いまになってあらためて思います。もうあまり同じような経験をしたくはありませんが。

(にしえ ひとなる 京都大学)


   


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