イルンビの森にゾウを追って

花村俊吉

パート④—ムジェゲの知恵とゾウの呪い
 

 パート①〜③では、精霊ンクングェ山を経由してマハレ山塊の西側から東側へと向かい、故ムトゥンダさんの故郷に辿り着くまでの様子をお話ししました。今回はいよいよイルンビの森へと向かいます。

 2006年8月16日(サファリ4日目)。朝焼けで周囲の竹林が薄紅色に染まるなか、ムワミさんと私はしっかりと腹ごしらえします。ここマトベ村跡地に荷物を置いて身軽になりますが、イルンビの森まで往復するためたくさん歩くことになると、ムトゥンダさんから聞かされていたのです。あとで調べたところ、その距離は30キロメートル近くありました。

 ントンド高原を東に見据えつつ、カベシ川に沿って南東へと向かいます。何度か見失うこともありましたが(写真1)、原野にはゾウが行き来して踏み固められた歩きやすい獣道が続いています。そこには、ヒョウの足跡、ローンアンテロープの糞、チンパンジーの食痕など、ゾウ以外にもさまざまな動物たちの痕跡が残っていました。密猟者か国立公園警備員かはわかりませんが、人間も足跡(ブーツの跡)を残していました。


写真1:獣道を見失う


 歩き続けること約5時間、先頭を歩いていたムトゥンダさんが、突然忍び足になったかと思うと目の色を変えて振り向き、やぶのなかに隠れるように促します。その先で、巨大な体躯のバッファローが5頭、じっとこちらを見つめていたのです。ムトゥンダさんは、銃を構える真似をしながら、「銃さえあれば仕留められるのに」と興奮しつつも悔しそうに呟きます。「ムジェゲ」(トングェ社会の真の狩人)の見習いであり、30年ほど前に国立公園が設立されるまでこの辺りで狩りをしていた彼の姿を垣間見たような気がしました。

 しばらくすると、見渡す限りやぶで被われた一帯に出ました。そこは、ムレンゴ氏族の「ムワミ」(親族集団の首長)の一人であるルカンダミラが暮らしていたイルンビ村の畑の跡地でした。ついにイルンビの森への入り口に辿り着いたのです。ちなみに、サファリを共にしているムトゥンダ・ムワミさん、ムワミ・ラシディさんは、ムジョンガ氏族の「ムワミ」の一人であるハワジの息子と孫にあたるので、ムワミの名を持っているのです。

 イルンビの森には1時間ほどしか滞在できませんでしたが、今でも木漏れ日の差すその森の雰囲気をありありと思い出すことができます。ゾウたちも、前日のものと思しき食痕や、水浴びして身体に付いた泥を樹に擦り付けた跡を残してくれていました。もう一歩のところで生きたゾウと出会う機会は逃しましたが、帰路を急ぐ途中、思わぬ形でゾウと出会うことになりました。

 獣道を見失い、湿地帯で立ち往生しているところで、そのゾウの白骨は静かに鎮座していました(写真2)。誰かが何かの儀式のために置いたかのように、頭骨を中心にしてその周囲に背骨や肋骨が並んでいました。密猟者が狙う、高値で取り引きされる象牙が残っていたので、自然死したものかもしれません。しかしムトゥンダさんは、ゾウがこんなところで死ぬはずがなく、密猟者に撃たれて逃げたものの、ここで力尽きたのだろうと言います。気がつくと、ムトゥンダさんとムワミさんはそれぞれ一本ずつ象牙を持っていました。迷いましたが、密猟者の手に渡ってもよくないと思い、あとで国立公園事務所に連絡することにしてそのまま持ち帰ることにしました。


写真2:ゾウの白骨死体(頭骨)


 途中で私も象牙を持って歩いたのですが、ムトゥンダさんは、象牙の先端を後方に向けていた私に、「その持ち方はよくない」と言い、自分が先端を前方に向けて持っていることに注意を促しました。「間違った持ち方をすると、二度と森から出られなくなる。」ムジェゲになるためにはゾウを仕留め、そのムクリ(悪霊)を鎮めるブジェゲという儀式が必要であることからもわかるように、トングェの人びとにとって、ゾウは畏れ多き存在であり、その関わり方にはさまざまな禁忌・規範があるのです。「―と昔は言ったものだ。今じゃほとんどの人が信じていないし、ムクリもやって来ないだろうがな。」ムトゥンダさんはそう言って少し笑い、自分でも先端を後方に向けて持って見せました。

 マトベ村跡地に戻ったのは夜の7時半、辺りはすっかり暗くなっていました。ムトゥンダさんと私は、この日の出来事や彼の昔話に花を咲かせつつこの晩のために残しておいた酒に酔い、象牙を間違った仕方で持ったことなど忘れていました。しかし、翌日サファリを終えてチンパンジーの調査キャンプに戻るのですが、その二日後に、ムトゥンダさんは熱を出して寝込んでしまいます。そして、不安気なムトゥンダさんや象牙の話を聞いた他の調査助手が「ゾウのムクリに憑かれた所為かもしれん」と言い出しました。ドキリとしました。マハレの山野には、いまも確かに精霊や悪霊が息づいています。その晩、私も発熱したのですから。

(はなむら しゅんきち 京都大学)





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