第18回 アイ

紹介者 島田 将喜

 

 野生チンパンジーの観察は、多くの場合もちろん楽しいのですが、時には切ない気持ちになることもあります。私の場合それは、勝手知ったるチンパンジーが病気で弱っていったり、死んでゆくのを目撃すること、そして自分がそれをただ見守ることしかできないことです。西田利貞さんがマハレ珍聞第9号でワクシという老齢メスを紹介していますが、その中でアイという彼女の次女の病死について触れています。今回は、母のように「有名」になる前に惜しくも亡くなったそのアイについて紹介します。

 1988年に生まれたアイは、妹のアセナ、兄のアロフとともに、顔つきが母によく似ていました。西田さんが書かれているように、アイは1999年、11歳のころに腰から下の両足を正常に運べなくなる原因不明の病気を患いました。それからおよそ3年間は高い木の登り降りもでき、仲間たちと行動をともにしていました。不自由ではありましたが、チンパンジーたちがたくさん集まる際には、他のコドモたちと追いかけっこやレスリング遊びをして、声を出して笑うこともありました。ただ病気が快方に向かうことはなく、後輩の娘たちの体つきがオトナらしく成長した後でも、アイの体は小さいままでした。


写真 やせ細ったアイ


 2002年5月末、4か月ぶりに姿を現したアイは厳しい乾季の間に変わり果てた姿になっていました(写真)。まさに骨と皮にまで痩せこけて、もはや自力で木に登ることも、長い距離を歩くこともできなくなったアイは、一人南の乾いた林の一角で、地面に落ちているパリナリ(Parinari curatellifolia)の実をしがんで飢えをしのいでいました。誰と付き合うこともせず、お母さんのワクシや兄妹たちからも一切気遣われることもなく、一人よろよろと乾いた地面にわずかに残された木の実を探すアイを、同じ群れのメスたちが集団で攻撃を加える場面が、三度も観察されました。メスがメスを攻撃して怪我をさせることはめったにないことで、私は攻撃に加わったメスたちを本気で憎らしく思ったものでした。

 6月29日の午後遅く、私はカンシアナでアシスタントから、アイが今にも死にそうだという連絡を受けました。私は居てもたってもいられず、夕闇が迫り、ヒョウが低いうなり声をあげる森を一人南に駆けて、パリナリの木の下の茂みの中にアイを見つけました。

 そのときのアイの目を私は、決して忘れることがないでしょう。痩せこけた顔から覗くその二つの黒目がちの瞳は、夕暮れの中にギラリと光りを放ち、確かに死と隣り合わせていても、命の続く限り生きる、生きようとする意思のある者の目でした。私は、アイのその目に圧倒され、彼女が眠りに着くまで敬意をもって観察して帰りました。あくる日からは、地面に落ちているパリナリの実が見つけられなくなり、アイも姿を消しました。私の滞在中にアイの痕跡は見つけられませんでしたが、私の後にマハレに滞在した研究仲間から、南の森でアイのものと思われる頭骨を発見したと聞かされました。

 病気を生き抜くアイの姿と、周りのチンパンジーたちがそれに対してまったく斟酌しないばかりかときに(私の眼には)冷淡に接する有様をつぶさに観察したことは、私のその後のチンパンジー理解に大きな影響を及ぼしました。その意味で、私にとってアイは母親以上に「有名」なチンパンジーなのです。

(しまだ まさき 帝京科学大学)





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