イルンビの森にゾウを追って

花村俊吉

パート③—とある夢とマトベ村でのひとやすみ  

 パート①②では、普段生活しているマハレ山塊西側からンクングェ山頂を経て、山塊東側にある故ムトゥンダさんの故郷、マヘンベ村の跡地に辿り着くまでの様子をお話ししました。今回は、イルンビの森へと向けて、山塊東部の疎林帯を少し南下します。 2006年8月15日(サファリ3日目)。精霊であるンクングェに登ったせいでしょうか。早暁、変わった夢を見て目を覚ましました。森のなかで、よく知っているチンパンジーたちとともにヒョウに追われるのですが、そのチンパンジーのなかに、チンパンジーの毛皮をかぶった得体の知れない人間が混じっているのです。

 朝食のあとテントを片付け、今日からは中高度地帯の踏破行だと気分を入れ替えました。意気揚々と出発してほどなく、重い荷物を背負ったまま、乾季も枯れることのないカベシ川を東へと渡ります。私は左右の靴の紐を結んでそれを肩からぶら下げて裸足で渡りますが、途中で紐が弛んで靴を川に落とし、あわやそのまま流されそうになります。ムワミさんは川底の岩に足を取られてこけてしまい、びしょ濡れです。二人してほうほうの体で川を渡り切ると、川を渡ることを見越して実は出発時から草履を履いていたムトゥンダさんが、涼しい顔をして運動靴に履き替える準備をしています。

 夢のことなどすっかり忘れてしまいました。私たちは、足と靴と服を乾かしてから小高い丘陵地帯へと向かいます。その上の草原で、焦茶の鳥が一羽、音もなく舞い上がるのを見かけました。両羽根から一本ずつ、凧の足のように白く細長い紐のようなものが伸びています(図1)。かつてはトングェの人々が往来し、いまでも国立公園警備員が稀に使うという道は、野火によって樹皮を黒く焼かれた木々が並び、燃え尽きた倒木があちこちに転がる疎開林のなかへと私たちを導きます。ムトゥンダさんによると、昔はこの北東部でよくチンパンジーを見かけたそうです。


図1 トングェ語でlibuga、和名でフキナガシヨタカ


 歩くこと3時間、丘陵地帯を下り、カベシ川の周囲に広がる竹林のなかの少し開けたところで、ムトゥンダさんが当然のように荷を降ろしました。まだ昼前です。休憩かなと思っていると、今日はここでキャンプをするとのこと。まだまだ元気が有り余っているうえ、こんなにのんびりしていては明日中にイルンビの森まで行けなくなるかもしれない、もっと進もう。私はそう主張しました。しかしムトゥンダさんによると、この先はキャンプに適した場所がないとのこと。そう言うと彼は、さっさと昼食の準備に取り掛かります。ムワミさんも付近の竹などを利用して即席の台所を作ります。今日はたくさん歩こうと意気込んでいたので拍子抜けしてしまいましたが、ムトゥンダさんが、ここは昔よく訪れたマトベ村の跡地だと懐かしそうに語るのを聞き、私もゆっくり休むことにしました(写真1)。昼食後、魚がたくさん泳ぐなか、カベシ川の冷たい清流に身を任せて寝そべって空を見ていると、かつてはこの川を糧に生活していた人々が居て、いまでは誰も居なくなったこんな奥地で沐浴していることが、なんだかとても不思議に思えてきました。


写真1:即席の台所にて飯を炊く


 この日テントを張ったすぐ目の前の竹には、ゾウが食べた跡が残っており、近くでゾウの乾燥した糞も発見しました。ムトゥンダさんによると、ここからずっと南方へと広大な範囲を遊動するゾウたちは、毎年4月から5月にこの辺りに滞在して竹を食べ、また南へと戻っていくそうです。そのため8月のこの時期には、イルンビの森まで行かないとゾウに出会う可能性(とその危険)はないとのこと。

 薄暮が迫る頃には予定より減りの早い酒もさらに進み、今宵もムトゥンダさんの昔話が始まりました。今回も昔話の前に紙面が尽きてしまいましたが、ここマトベ村をベースキャンプにして、次回、いよいよイルンビの森へと向かいます。ちなみに、酒のせいかこの日の深更の夢にもチンパンジー人間が現れましたが、今でもその正体はわかりません。

(はなむら しゅんきち 京都大学)


   


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