イルンビの森にゾウを追って―パート②―ンクングェを経て山塊東側のマヘンベ村へ

花村俊吉



 前回パート①では、このサファリの案内人であったムトゥンダさんの訃報を兼ねて、初日の様子をお話ししました。今回は、マハレ山塊最高峰・ンクングェ山頂(約2500m)を経て、いよいよ山塊の東側へと分け入ります。

 2006年8月14日(サファリ2日目)。標高が高いことによる寒さで6時頃に目が覚めました。普段生活しているマハレ山塊の西側だと、東に聳え立つ山塊に隠れて陽が登るのが遅いのですが、ここではもうすっかり辺りが明るくなっています。朝焼けを眺めつつ朝食をとったあと、すぐに山頂を目指して出発しました。

 ひたすら登ること約1時間、ムトゥンダさんとその甥のムワミさんとともに、はやる気持ちを抑えつつ最後の急斜面を登り切ると、そこには少し傾斜した草原が広がっていました。時折突風のような強風が吹くなか、私は何も言わずに、南東へと連なるマハレ山塊主稜とその両側に広がるマハレ全体を見渡していました。ムトゥンダさんは、彼の故郷であり、これから降り立つ予定の東部の森の様子をムワミさんに語っているようでした(写真1)。邪魔してはいけないような気がして、私は辺りを一周しながら一人感慨に浸っていました。西側を見下ろすと、Mグループのチンパンジーたちが生活するカソゲの森が見えます。川沿いに発達した他より緑の濃い川辺林を辿って行くと、その先はタンガニイカ湖です。そのあと私も彼らの会話に参加し、南方の山々や東部の森の名前を教えてもらいました。



写真1 ンクングェ山頂にて


 私たちはしばらく黙々と佇んでいましたが、あまりゆっくりとはしていられません。今日中に山を下り、山塊東側のマヘンベまで辿り着かねばならないのです。

 宿泊所に戻ると、国立公園の職員二人が出迎えてくれました。パート①では触れませんでしたが、昨晩私たちが寝たのは、ンクングェ山頂付近にある公園事務所の小屋だったのです。彼らの仕事は公園内の野火の状況や密猟者などを監視することですが、普段はラジオを聴きながら楽しげにお喋りに興じています。もちろん私は、事前に公園側に通知してこのサファリの許可を申請しています。公園の外側、東部のントンド高原のさらに北東のあちこちで、自然発火したのか、人間が猟のため動物を追い立てているのか焼畑のため野焼きしているのか、野火が棚引いています。それを眺めつつ、ここが公園内部であり、その設立とも関連して故郷を立ち退くことになったムトゥンダさんと、調査・研究と称して公園内をサファリする自分との間に流れる歴史や権力関係に複雑な思いを抱きました。

 職員二人に別れを告げたあとンクングェを下り、昼前にはムヘンサバントゥー山まで戻りました。そこから西へは戻らず東へと向かいます。しばらく背丈の高い草原にところどころ低木や花が混じる植生が続きましたが(写真2)、標高が下がるにつれて馴染みの植生である疎林帯に変化していきました。動物たちも同様です。十数頭のキイロヒヒの群れと出会い、樹上高くに大小ふたつ並んだ古いチンパンジーのベッドを見つけました。



写真2 ムヘンサバントゥー山から東方へと下る途中


 さらに下ると、竹林が登場しました。その前後でムガンガ川を渡り、さらにもうひとつ川を渡ったところで、突然ムトゥンダさんが荷を降ろしました。その川がマヘンベ川で、この川と同じ名の村があったまさにこの場所が、彼の故郷でした。山塊上部から東側へと流れ出すマヘンベ川は、ここで、南東遠くのイルンビの森を水源とする水量豊かなカベシ川に合流します。夕方5時近くでしたので、すぐにテントを張り、薪探しと水汲みに向かったのですが、その途中、土に埋もれた古い水瓶を見つけました(写真3)。確かにここで、一昔前まで人々が生活していたのです。

 その晩は酒が入って饒舌になったムトゥンダさんの昔話をたくさん聞くことができましたが、それはこれ以降サファリの間、毎晩続くことになりますので、その話また次回に取っておきましょう。



写真3 マヘンベ村跡地にて


(はなむら しゅんきち 京都大学)


   


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