カトゥンビ村の簡易診療所完成式典

井上紗奈

 

 日本のODA援助による簡易診療所が、マハレのチンパンジー研究者にとってかかわりの深いカトゥンビ村に出来ました。2011年1月18日に、その完成式典にお邪魔した時の様子をご報告します。 カトゥンビ村は、昔からトングェの人々が暮らしている村のひとつで、マハレ山塊国立公園の設立とともに公園内から移り住んだ人も多くいます。チンパンジー調査においては長年に渡って協力をいただいており、トラッカーをはじめとする調査アシスタントも、多くがカトゥンビ村民です。

 わたしたちがボートでカトゥンビ村に到着したときには、船着き場付近にたくさんの人々が集まっていて、すでに歓迎のンゴマ(太鼓と踊りの伝統音楽)がはじまっていました。女性たちは皆おめかしして、子どもたちも興奮気味、熱いお祝いムードでいっぱいでした。待ち望んでいた診療所の完成、という喜ばしい出来事のお祝いであり、加えて、赴任予定の医師や、日本の在タンザニア大使・キゴマ州知事、タンザニアTV局取材など、普段村に来ることがないような人たちを見物するお祭りでもありました。

 実は、地元の人の医師に対する評価は低く、特に都会からやってきた医師は横柄な態度をとりがちなんだそうで、村に住む調査アシスタントも、どうせそういう医者が来るんだろう、ということを話していました。確かに、診療所ができても、薬が手に入っても、患者の親身になって適切な治療ができる医師がいなければ何の役にも立ちません。しかし、式典に現れた医師は、村人たちのためになる医療をする、という心強いようすが見て取れ、一気に村人たちの心をつかみました。日本の援助をもとに医師の人選をおこなった、村のあるキゴマ州政府の本気がみられた気がします。

 さて、ンゴマの披露がおわった式典では、来賓のあいさつがありました。大使・知事はもちろん、撮影中のTVクルーや、スワヒリ語がおぼつかない私にまでマイクが回ってきて大いに焦りました。もっとスワヒリ語を練習しておけばよかった、と後悔しきりです。あいさつのあとには、10年来マハレで調査を続けてきた座馬耕一郎氏によるスピーチもありました(写真1)。感謝の意を述べて、調査アシスタントを務めたOBや現アシスタントの名前を一人一人読み上げたときには、おそろいの制服をきて座馬氏の横に並んでいた調査アシスタントたちも誇らしげで、隊員2ヶ月目の私もチームとしての一体感を感じました。そしてスピーチに聞き入る村人たちの真剣なまなざしは、後日、就職希望の手紙となってカンシアナキャンプに届きました。

祝辞

 今日はカトゥンビの皆さんにとって、記念となる日です。もう遠くの病院に行く必要はありません。カトゥンビに診療所ができたからです。
 最初に、この診療所建設にご尽力いただいた特命全権大使をはじめとする日本大使館の皆様、キゴマ州、キゴマ県の皆様に、心から感謝の言葉を申し上げたいと思います。
 私たち研究者はタンザニアで長年にわたりチンパンジーの調査をして参りました。1961年より、今西先生、伊谷先生によるカボゴ基地、カサカティ基地を拠点とする調査がはじまり、1963年にはここカトゥンビ、カベシ川で東先生が、1965年9月にはカソジェで伊沢先生が調査をおこなってきました。1965年10月から西田先生による長期調査が開始され、現在までに数多くの研究成果が発表されてきました。そして1975年にJICAによる調査がはじまり、1985年にマハレ山塊国立公園が設立されました。
 私たちがこれまで長期調査できたのは、各方面からの援助があったからです。ひとつは日本政府からの研究費援助、ひとつはタンザニア政府による調査許可です。そしてなにより大切なのが、カトゥンビの皆さんからの援助です。チンパンジーの追跡や調査を手伝ってくださる調査助手、植物の名前を教えていただく村の長老、村の滞在時や買出しでお世話になっている農家や市場、おうちの方々など、カトゥンビの皆さんにさまざまな形で支えられています。本当にありがとうございます。
 今日は、そんな皆さんの村に診療所ができた日で、私たちもたいへん喜んでおります。すばらしい診療所を作っていただき、日本大使館の皆様、キゴマ州、キゴマ県の皆様に、もう一度感謝の言葉を申し上げます。カトゥンビの診療所、万歳! (座馬耕一郎)


写真1 祝辞を述べる座馬さん(右から二人目)(井上紗奈撮影)


 式典は、知事から村長への医薬品の贈呈と診療所の所内見学で締めくくられました(写真2,3)。併設された水道設備をはじめ、診療室、医薬品置き場、倉庫、などこじんまりしつつも十分な設備が整っており、あとは実際に医師が赴任し、診療がはじまるのを待つばかりです。



写真2 医薬品の贈呈。中央に中川日本大使の姿も(井上紗奈撮影)




写真3 完成した診療所の見学(座馬耕一郎撮影)


 私は、今回はじめてタンザニアに赴いたのですが、たまたま式典が滞在期間中にあったので、諸先輩方をさしおいて出席させていただくことになりました。おかげで、式典を通じて、母国である日本が世界に誇れる活動をしていることを肌で感じることができ、また、村の未来を拓くひとつの転機を、村の人々と共有できたことはとても誇らしく思います。 ただ、明るい話ばかりではありません。実は、式典のあと、村の人から、病人をムガンボ(病院がある町、船で片道約30分)に運ぶのに船を貸してくれ、と頼まれました。聞けばかなり重篤な病状で一刻を争う事態だったのに、彼らはお祝いに水をさしてはいけない、と、式典がおわり赴任予定の医師を含めた来賓一行が村を去るまでずっと待っていたようです。すぐに船を出し無事に送り届けることができましたが、村の現実をつきつけられた瞬間でした。

 新しい診療所がただしく稼働し、病気が悪化する前に治療できるような環境をはやく整えられるようになることを切に願っています。

(いのうえ さな 林原類人猿研究センター)


   


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