MWCS創設者 西田利貞先生のご逝去

マハレ野生動物保護協会 副会長 保坂和彦

 

 マハレ野生動物保護協会(MWCS)の創設者、西田利貞先生〔京都大学名誉教授、日本モンキーセンター(JMC)所長〕が、2011年6月7日、京都の自宅にて安らかに永眠されました。享年70歳。約5年前に直腸癌を患われて闘病を余儀なくされながらも、最後まで現役の霊長類学者としての人生を突き進まれた後のお別れとなりました。当協会を代表して、謹んでお悔やみを申し上げますとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。

 西田先生は故伊谷純一郎先生が組織した「京都大学アフリカ類人猿学術調査隊」(KUAPE)第4次調査隊の一員として、1965年にマハレに派遣されカソゲに調査基地を設けました。当時、高宕山のニホンザルのヒトリザルについて修士論文をまとめたばかりの24歳の大学院生でした。

 同年、チンパンジーの餌付けが成功しました(餌付けは1987年全面中止)。それ以来、今日までマハレの研究は続けられ、ジェーン・グドール博士のゴンベに次ぐ世界で2番目の長期継続調査となっています。



写真 カンシアナにて。モシ・ハミシ氏(左)、西田先生(中央)、ラシディ・キトペニ氏(右)。
2009年8月27日


 先生の研究上の業績は枚挙に暇がありませんが、1968年に発表したチンパンジーの社会集団に関する論文は霊長類学の歴史上とくに重要なものです。当時、母子以外に安定した社会的単位はないとされたチンパンジーの離合集散型社会に閉じた枠があることを、サブグループのメンバー構成を記録し続けることにより証明しました。

 故川中健二先生、故上原重男先生という優れた仲間に恵まれ、さらに東京大学や京都大学を中心に多くの研究者がマハレの調査に参加し、雌の移籍、集団間関係、道具使用、雄の政治的行動、狩猟、食物分配、文化的行動をはじめ、数多くの重要な成果を世界に発信し続けてきました。

 国際霊長類学会会長(1996―2000)、日本霊長類学会会長(2001―2005)、プリマーテス編集長(2004―2011)を歴任し、2008年には国際霊長類学会生涯功績賞、リーキー賞、2010年には中日文化賞も受賞しました。

 マハレの環境保全活動にも多大な貢献をされました。伊谷先生とともに保護区設立をタンザニア政府に提案し、JICAの支援による基礎調査も功を奏し、1985年、マハレ山塊国立公園が誕生しました。

 MWCSの構想も当時から温めていたそうですが、ホセア・カユンボ先生(ダルエスサラーム大学教授、MWCS会長)と根本利通さん(JATAツアーズ社長、MWCSタンザニア事務局長)の協力を得て、1994年に発足の運びとなりました。

 カトゥンビ小学校(2003年開校)、カトゥンビ診療所(2010年完成、次ページの記事を参照)の建設は先生の尽力なしには実現しなかったでしょう。先生は、国立公園化に伴ってカトゥンビをはじめとする集落に移住したトングェ族の住民との関係を常に考えておられました。彼らの教育や医療に対する支援は、そもそもは長年の友好・協力関係に対して恩返ししたいという先生の情熱が動機づけでした。しかし、戦略的に考えても私たちは同様の活動を継続していくべきでしょう。近年の野生動物保護管理は、地域密着型環境保全が基本となりつつあるからです。教育・医療事情が安定し、環境教育活動による地域の啓蒙が果たされてこそ、地域住民が参画するマハレの環境保全活動へと発展することが期待できます。

 今年1月6日、西田先生は、私と中村美知夫さん(京都大学)、稲葉あぐみさん(JMC)に電子メールを送り、癌性腹膜炎という「容易ならざる病気」に至り、さまざまな仕事の引き継ぎが必要となったことを告げられました。

 1月30日のお昼、河道屋養老の「養老鍋」を囲み、生蕎麦をご馳走になりました。蕎麦が美味しすぎて、私はつい自分の椀にざっくりよそってしまい、あっという間に蕎麦がなくなりました。そのとき、ふと先生が見せた寂しそうな表情を私は後悔の念とともに思い出します。

 その日の午後、吉田河原町のオフィスにて行った引き継ぎにて、先生は当日限りで「マハレ山塊チンパンジー研究プロジェクト」(MMCRP)代表、MWCS副会長を下りる旨を宣言されました。そして、MMCRP代表は中村さんに引き継いでほしいこと、MWCS副会長は私に引き継いでほしいことを告げました。また、パン・アフリカ・ニューズの編集長を私に一任しました。さらに、大量の資料の保管とデジタル化についても打合せましたが、私たちは請け負った責任の重さに圧倒されるばかりでした。

 引き継ぎを済まされた後、先生は最後の仕事に情熱を傾けられました。昨年11月には原稿を書き上げたというマハレのチンパンジーに関する英文の一般書の出版です。先生は、英語の論文や総説は数多く出版されましたが、一般書は英語で出していないことが気がかりだったそうです。

 ウィリアム・マックグルーさん(ケンブリッジ大学)の惜しみない尽力が実り、今年12月には、ケンブリッジ大学出版局から出版されることが決まりました。 私はメールが打てなくなった先生に代わり、マックグルーさんとの連絡などのお手伝いをしましたが、それを口実に3回ほどお見舞いをしました。そのとき、堅い食べ物を制限されていた先生へのお土産に、私は資生堂パーラーのカスタードプリンをお持ちしました。これを意外に喜ばれ、ベッドでするりと平らげてしまわれました。少しは蕎麦を食べ尽くした罪滅ぼしにはなりましたか?西田さん。

(ほさか かずひこ、鎌倉女子大学)





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