イルンビの森にゾウを追って
パート@―ムトゥンダを偲んで

花村 俊吉

 

 2010年3月24日、15年以上に渡ってマハレのチンパンジー調査隊(現マハレ山塊チンパンジー研究プロジェクト:MMCRP)を手伝ってきてくれた調査助手、ムトゥンダ・ムワミさん(以下、ムトゥンダ)が亡くなりました。2006年に私がマハレを去ったあと、マハレに滞在した他の研究者たちから、彼の具合がよくないという話を何度か耳にしていましたが、まさかこんなふうに突然亡くなるとは思ってもみませんでした。(写真1)。



写真1 ムゥトゥンダ・ムワミさん(著者撮影)。


 マハレ滞在中、私はチンパンジー調査とは別に、マハレ山塊の最高峰ンクングェ山(約2500m)に登頂し、Mグループ・チンパンジーの遊動域であり普段私たちが生活している山塊の西側からは、全く見ることのできない東側を覗いてみようと思うようになりました。とくに、西側とはまた違った動物相が広がり、ゾウに出会える可能性もあるイルンビの森を歩いてみたかったのです。山塊の東側に広がる疎林帯は、西側のタンガニイカ湖岸部から山塊周辺にかけての他の地域と同様、国立公園ができるまで、トングェの人々が焼畑や狩猟・漁撈・採集をしながら生活していた場でもあります。
 4泊5日の強行日程なうえ、テントや食糧を運ぶ人手も必要でしたが、ムトゥンダとその甥にあたるムワミ・ラシディさん(以下、ムワミ)が手伝ってくれることになりました。
 ムトゥンダさんによると、二十歳頃まで、彼はまさにその東側の地域で暮らし、トングェ社会ではゾウを倒してそのムクリ(悪霊)を鎮める儀礼ブジェゲを受けた真の狩人を指す「ムジェゲ」の見習い(Mujege mdogo)だったそうです。ムジェゲであるムゼー・カペラに師事し、2006年にMMCRPを退職したキジャンガ(ラシディ・ハワジさんの愛称、ムワミさんの父でありムトゥンダさんの兄でもある)とともに、彼から狩りの技術や森と動物についての知恵を学んだと語っていました。そのためか、ムトゥンダさんとキジャンガさんは、チンパンジーを追跡する際、山刀を使って藪や木の蔓などを切ることも少なく、獣道をすっと見つけて足音も立てずに静かに歩きます。ちょっとした草の揺れや傾き具合にチンパンジーの通った跡を見出し、微かな足跡の痕跡なども見逃しませんでした。  そんなわけで、イルンビに向けたサファリの道案内をお願いするとムトゥンダさんは快諾してくれましたし、ムワミさんも一度行ってみたかったということで、すぐに了承してくれました。
 2006年8月13日。初日は、カンシアナ・キャンプの少し北側から東へ向かい、ムヘンサバントゥー山経由でンクングェ山を目指しました。途中、Mグループの北の隣接集団Yグループ・チンパンジーのものと思われる声が下から聴こえてきましたが、標高があがるにつれ植生が変化し、普段チンパンジーを追いかけている西側のカソゲの森も、眼下遠くにかすんで見えるようになりました(写真2、3)。



写真2 ムヘンサバントゥー山頂へ向かう(著者撮影)。


 ムヘンサバントゥー山頂から主稜の尾根伝いに南東に向かって歩き、フモ山を昇り降りした辺りは、所々に大きな岩が転がる風の吹きぬける草原でした。そこでは鳥が一頭、上空高くで私たちの様子を窺うかのようにしばらく円を描いて舞っていただけで、他に動物の姿は見当たりませんでした。
 ヘトヘトになってンクングェ山の麓に到着したときには、もうすでに日が暮れかけていたので、急いで近くの森まで水を汲みに下り、火を熾して夕食の準備をしました。夜になると、北方遠くにタンガニイカ湖岸の村々の明かりが揺らめきましたが、山塊の東側は漆黒の闇に包まれていました。満天の星を仰ぎ、ムトゥンダさんと二人でちびちびやりながら眠りについたことが、昨日のことのように思い出されます。



写真3 稜線を歩くムワミ・ラシディさん(著者撮影)。後方はるか下に、マハレ山塊の西側の森とタンガニイカ湖がかすんで見えている。


 さて、今回はここで話が終わってしまいますが、次回は、トングェのムガボ(精霊)であるンクングェ山に登頂したあと、ムトゥンダさんの故郷マヘンベへと向かいます。

(はなむら しゅんきち 京都大学)



※マハレ珍聞第16号2010年冬号 p2-3の花村俊吉氏の記事について、編集部のミスにより以下の修正が印刷版に反映されておりませんでした。ここに訂正いたします。花村氏にはご迷惑をおかけしたことを謹んでお詫び申し上げます。
【正誤表】
●p2タイトル【ウェブページの冒頭および目次ページのタイトル】
誤:イルンビの森にゾウを追って パート@―ムトゥンダを偲んで
正:イルンビの森にゾウを追って パート@―ムトゥンダさんを偲んで

●p2左段4-5行目【ウェブページの1段落目中ごろ】
誤:ムトゥンダ・ムワミさん(以下、ムトゥンダ)が
正:ムトゥンダ・ムワミさんが

●p2右段1行目【ウェブページの1段落目最後】
誤:た。(写真1)。
正:た(写真1)。

●p2写真1の説明【ウェブページの写真1の説明】
誤:ムゥトゥンダ
正:ムトゥンダ

●p2右段12行目-p3左段1行目【ウェブページの2段落目最後】
誤:国立公園ができるまで、トングェの
正:かつてはトングェの

●p3左段2行目【ウェブページの2段落目最後】
誤:…でもあります。
正:…でもあります。彼らは、1974年にこの地域でも施行されたタンザニアの集村政策(現在はその法的拘束力はない)と85年の国立公園設立に伴って、公園外にある湖岸部の村への移住を余儀なくされたのです。

●p3左段4行目【ウェブページの3段落目最初】
誤:ムトゥンダとその甥
正:ムトゥンダさんとその甥

●p3左段5-6行目【ウェブページの3段落目中ごろ】
誤:ムワミ・ラシディさん(以下、ムワミ)が
正:ムワミ・ラシディさんが

●p3左段7行目【ウェブページの4段落目最初】
誤:二十歳頃まで
正:20代半ば頃まで

●p3左段13行目【ウェブページの4段落目中ごろ】
誤:キジャンガ(ラシディ・ハワジさん
正:キジャンガさん(ラシディ・ハワジさん

●p3左段17行目【ウェブページの4段落目中ごろ】
誤:語っていました。
正:語ってくれました。

●p3右段12行目【ウェブページの6段落目最初】
誤:フモ山を昇り降り
正:フモ山を登り下り

●p3右段14行目【ウェブページの6段落目中ごろ】
誤:鳥が一頭
正:鳥が一羽

●p3右段25行目【ウェブページの7段落目最後】
誤:二人でちびちびやりながら
正:二人で酒をちびちびやりながら


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