ご隠居たちの壁

保坂 和彦

 

2009年の8〜 9月、マハレに入り、雄のチンパンジーの社会行動を観察しながら、狩猟肉食の資料を集めてきました。前回調査(2008年)のほぼ1年後の様子を見ることができました。ここでは、『マハレ珍聞』12号で稲葉さんが報告した2007年の政権交代劇の続きの話をしたいと思います。
新しく第1位となったピム(21歳)は、とても「自信」にあふれ、安定感があるように見えました。今後しばらくは、揺るぎない彼の時代が続きそうです。 ピムのゆくところ、パントグラント(劣位者が優位者に一方的に発する挨拶音声)や悲鳴の嵐あり。ピムが、挨拶する仲間に軽く突進しては騒ぎを広げる光景をよく見ました。しかし、ただ仲間を脅かすだけではありません。イボイノシシが現れ、仲間が怖がれば、これを駆逐する勇猛さを見せることもあります。頼りがいのあるリーダーの誕生です。



写真1:同い年の劣位雄ダーウィン(左)から挨拶を受けるピム(右)


彼の自信を支えているのは、じつはご隠居組の雄たちではないかと私は考えています。マハレ調査史上、今ほど多くの第1位経験者が共存したことはありません。カルンデ(約46歳)、ファナナ(約31歳)、アロフ(27歳)。かつて第1位をめぐってしのぎを削った雄たちが、もはや再挑戦するわけでもなく、ピムと平和共存する生活を選んでいます。また、アロフ時代に第2位だったボノボ(27歳)もご隠居への道を歩んでいます。 ピムとアロフ(前第1位)との関係には微妙な変化が見られました。2008年、両者には明らかな距離感がありました。第2位となったアロフが地位を取り戻そうと立ち回る姿は見られませんでしたが、ピムとは付かず離れずの関係でした。ところが、2009年になると、両者の関係は接近しました。9月2日の朝、隣り合ってアリ釣りする2頭の姿からは、彼らが優劣闘争の当事者だったことが嘘のようでした。



写真2:一緒にアリ釣りをするピム(左)とアロフ(右)


一番驚いたのは、ピムがアロフと肉を食べる関係になったことです。チンパンジーが小型哺乳類を狩猟し、第1位雄が肉を手にすると、同盟者や長老雌などが集まってきて共食します。第1位雄が地位をアピールする格好の場のようです。一年前、カルンデ、ファナナ、ボノボがピムと肉を共食するのを確認していましたが、今や、アロフも仲間入りです。ピムが強力に見えるのも、こうしたご隠居たちが、結託するわけではないものの、めいめいピムの地位を支持しつつ利用しているためでしょう。面白いことに、ピムは、肉をファナナやファトゥマ(母)に預けたまま、肉食を続けることもありました。また、肉を置きっぱなしにして走り回ることがありました。ふつう肉の所有者は食べ終わるまで肉を手放しません。「いつでも肉を取り戻せる」という自信の表れかもしれません。私には、彼がそれをわざわざ見せつけているようにも見えました。 アロフがピムに近くなったと言っても、いつも一緒にいるわけではありません。じつは、アロフは若手成長株のプリムス(18歳)を牽制する必要に迫られていました。プリムスはアロフを見れば、これ見よがしに威嚇しに来るようになっていました。一年前、すでにプリムスは挑戦的でしたが、アロフはまだ十分優位を保っており、単独でプリムスに突進し、木から叩き落とすこともありました。しかし、今や、両者の関係は拮抗。どちらもパントグラントを発さず、互いの優位を認めていませんが、私はすでにプリムスに第2位雄の風格を感じていました。アロフがプリムスとの喧嘩に勝つときは、決まって、ピムかカルンデが傍にいるのでした。



写真3:緊張気味のアロフ(左)とカルンデ(右)


プリムスは私が初めてマハレ入りした年に生まれた雄です。同い年のオリオンは、母親同士が仲良しだったため、ピムと兄弟のような関係でした。赤ん坊だった彼らはいつも一緒に遊んでいました。今でも2頭は親密に見えますが、オリオンが意外なほど臆病な大人に成長したため、同盟というほどには目立ちません。彼らの同い年にはもう1頭、血気盛んなカドムスがいます。彼にはカーターという兄がおり、大人になった今、よく一緒に走り回りながら、ご隠居組に挑戦しています。今のところ、ピムを動揺させるような動きはありませんが、将来どうなるのか興味深い話題です。


(ほさか かずひこ 鎌倉女子大学)


   


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