「幻」のエーゲ海クルーズ in タンザニア

島田 将喜



私は一つの場所にじっとしていられない性分で、チンパンジーの調査の合間をぬって、一人でタンザニアの各地を貧乏旅行してまわるのが好きです。2002年の夏に、バスと鉄道で数日間かけて乾ききった内陸部を東へと向かい、インド洋にたどり着き、ムトゥワラという町に泊まりました。静かな港町で、南はすぐにモザンビークとの国境です。そこから北上してダルエスサラームに行く予定だったのですが、町に着いてから、二つの町は陸路だけでなく海路でも繋がっていることを知りました。二つの町は陸路で560kmほど離れています。船ならば一日がかりの旅でしょう。私は広大すぎる大地を陸路で旅することに少し飽きてきていたところでしたので、出港のタイミングが合えば是非海路をとりたいと思いました。客船での航海というのは、鉄道やバスとは違った魅力を感じるものです。


図1: サントリーニ3の外観.


聞くと北上する船は週に一便だけで、まさにその日の午後に出るとのことで、早速チケットを購入しました。等級は6つに分かれ、一番安いFクラスで7千5百シル、一番高いAクラスで4万シル。デッキより内部に入れるのは、A、B、Cクラスだけ。私は懐具合を確かめ、少し贅沢かなと思いつつ2万5千シル(約3千円)でCクラスのチケットを手に入れました。案内されたのは、船尾に英語で「サントリーニ3」と描かれた大きな客船でした。サントリーニとはギリシアのエーゲ海に浮かぶ島々の一つです。私が乗船したわずか1か月前まで、そうした島々を巡るのに使用されていた船だと、乗組員はいいます。たしかに船内を見ると、ラウンジ、レストラン、バーと全てが十分立派なものでした。もっとも乗客は少なく、せっかくのダンスフロアには人影はなく、レストラン以外は稼働していませんでしたが。


図2: 船の中の様子.


レストランで食事をとり、広い前部デッキに出てインド洋を背景に、乗り合わせた子どもたちとサッカーをして遊びました。そして船旅といえば定番かも知れませんが、沈む夕日と海を眺めながらビールを飲んで、南国の温かい風に当たりながら船の動力の音を聞き、物思いにふけました。セキュリティのしっかりした部屋では、熱いお湯でシャワーを浴びることができ、クーラーも効いて快適です。清潔なベッドの上でぐっすり眠ることができました。何しろエーゲ海を航海していた船ですから、それくらいは当たり前のことです。心地よい眠りから覚めると、船はすでにダルエスサラームの湾内に入っておりました。

乗船後しばらくして、この船には航海士としてギリシア人が多く、機関士として(多くの外国船舶がそうであるように)フィリピン人が多く、そしてレストランなどの運営にはタンザニア人が多いことに気付きました。

タンザニア人の一人は、自分たちはまだこの船の操船に慣れていないが、やがて外国人に頼らず航海したいという思いを語ってくれました。一方でギリシア人の航海士は、早く自分の国に帰りたいと溜息をついていました。船内には何か複雑な事情があるように感じました。

タンザニアでは、お金にゆとりがあれば、もちろん贅沢なサービスを受けて安全快適な旅をすることができますが、安価の割に落ち着いて旅ができる手段は多くないと思います。そこで貧乏旅行が好きだという読者にも、この船旅をお勧めしたいのですが、実はそれはもはや不可能です。

マハレでの調査を終えた西江仁徳さんが1年後に帰国したとき、驚くべき情報を伝えてくれました。なんと当の船が「イメポテア」(スワヒリ語で「なくなってしまった」という意味)だというのです。

船ごと逃亡あるいは盗まれてしまったということでしょうか。それが実際に可能だとしても誰がそれを企ててどこに行こうとしたのか、詳しいことははっきりしません。単に営業不振で運行しなくなったのかも知れません。

あれほどの巨大な洋上の物体が「イメポテア」したと聞いて、私はインド洋のどこかを彷徨する客船とその中での乗組員同士のいざこざを想像し、少々不謹慎ですが、腹を抱えて笑いました。そうした想像の方がいかにもタンザニアで起こりそうな出来事らしいし、心のどこかに「やっぱりな」という気持ちがあったからです。安価で安全快適な「エーゲ海クルーズ」という、あまりタンザニアらしくないサービスは、こうして幻となってしまったのです。


(しまだ まさき 帝京科学大学)




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