神のみえざる手はみあたらない

島田 将喜



 

写真: キゴマの市場の様子



タンザニアでは物やサービスの値段が、はっきり決まっていないことが多く、その場合値段は、売り手と買い手の直接交渉によって決まります。レストランのメニューやホテルの部屋、スーパーの商品の価格などは交渉の余地がないことが多いですが、おみやげ屋さんなどでは商品に値札がついていても、あってないようなものです。売り手と買い手の双方が納得する価格こそが「適正価格」だということです。 多くの日本人にとって、今や値段の交渉をするのは家電製品を選ぶ時くらいでしょうから、買い物をするたびに何度も他人と交渉するのは、しんどいと思う方も多いでしょう。でも考えてみれば、顔の見える売り手と買い手の交渉によって物の値段が決まるというのは、貨幣経済の原初の姿に近いのでしょうし、貴重な経験をしているとも言えないことはありません。

知り合いの日本人女性がこんな話をしてくれました。彼女のお気に入りのお菓子が、キゴマ市場の一角にある商店で千五百シルで売られていて、そんなものかなと、そのお店で買い続けていると、数週間後、十数メートル離れた他の商店では同じお菓子が千シルで売られているのに気がついて悔しい思いをした、というのです。「市場」にしてからが、このありさまなので、アダム=スミスの神はここでは仕事をしていないのではと言いたくなってしまいます。

物の「正しい」値段がないのだとすると、あなたが売り手なら、最初は試しに法外な値段を買い手に提示してみるのが得なのに決まっています。あなたもまさかその値段で買い手が納得するとは思わないでしょう。でも買い手が呆れて立ち去ってしまわない限り、その呼び込みをきっかけに交渉は始まるのだから、それでいいのです。 売り手がそういう態度なら、買い手のあなたはどのように対処すべきでしょう。ここではタンザニアに着いた旅人がまずしなくてはならない、空港から市街に向かうタクシーの値段交渉を例に、著者自身の対処法を紹介しましょう。



 

写真: 市場の前で客を待つタクシー


税関を脱出すると、向こうから近付いてくるのはタクシー会社の呼び込みです。彼らは「どこへいくのか、市街なら三万シルだ」などと一方的に話しかけてくるでしょう。あなたがタクシーを必要としていて、彼らの言っていることがわかったとしても、いったい相場が幾らくらいなのかを知らなくては交渉のしようがありません。筆者の対処法はこうです。タクシーに限りませんが、言い値の半額くらいが彼らの納得できる価格なのだと構えていると面倒が少ないです。つまり最終的に言い値の半額で妥協できるように交渉をもってゆくのです。たとえば彼らが「三万シルだ」というなら、それは「一万五千シルで妥協しよう」というサインだと(勝手に)受け取るわけです。さて、そこで正直に「一万五千シル出すよ」と切り出してしまうと、きっと相手は二万五千出せときて、結局二万シルくらいで妥協させられることになります。だからこちらも最初は「一万シルでどうだ」と切り出します。そこから徐々に一万五千シルに互いに値段を近づけてゆけばよいのです。タクシーを降りるときに少しばかりのチップを渡してあげれば、双方とも気分よく別れることができるというものです。

「言い値の半分」というのは、筆者が納得できる価格にすぎませんが、みなさんも自分なりの「納得限界」のようなものを設定しておくと旅がしやすいのではないでしょうか。 下手な交渉で高いお金を払わされたと思っても、それはそれで旅の貴重な経験をさせてもらった勉強料だと前向きにとらえることです。「正しい」値段など、どこにもないのですから。交渉で合意したことを後で蒸し返して、売り手とトラブルを起こしたり、その日一日気分が悪い思いをしたりするのは、受ける損害プライスレス、ということになってしまい、懐だけでなく精神衛生上もよくありません。



(しまだ まさき 帝京科学大学)


   


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