乾燥帯のチンパンジー〜水と猛獣〜

吉川 翠

 

写真1: ウガラ地域を丘から眺めた様子。



マハレ山塊からおよそ100km東に位置しているウガラ盆地は、世界中の野生チンパンジーの研究地の中でも最も乾燥しています。総面積は3,352 kuで、マハレ山塊国立公園の約2倍の広さです。私は2007年と2008年に、ここに住むチンパンジーの調査をおこないました。 ウガラ地域のチンパンジーは、生息密度が他の地域に比べ低く、1つの集団が約500kuという広い遊動域をもちます。そのため、直接観察の機会がなかなかありません。また、警戒心が強くすぐに逃げてしまうので、彼らを長時間連続して観察するのは至難の業です。そのせいか、現地の調査アシスタントでさえ、チンパンジーに出会うと目を輝かせて興奮しています。 ここの植生は、疎開林が全面積の80%をしめ、他に常緑林(河辺林)や草地がパッチ状に点在しています(写真1)。乾季になると、疎開林はまるで日本の冬景色のように落葉します。葉っぱがなくなった疎開林ではベッドが作れないため、チンパンジーたちは乾季になっても葉が茂っている常緑林を寝場所や休息場所として利用していますが、その面積はわずかです。


乾季に苦労するのはチンパンジーだけではありません。乾季の調査ではとくに水の確保に苦労します。乾季の中盤頃には、支流の流れがなくなり、水は滞留しはじめます。その水面には小さな泡の混じった膜が張ります。その膜をよけながら飲み水を確保するのですが、汲み上げた水はまるで薄い紅茶のような色をしています。日本ならとても口に入れたくないような水ですが、調査でカラカラになった喉を潤してくれるのはこの水しかありません。そして乾季の後半になると、ウガラ地域の北端を西流するマラガラシ川と、東端を北流してマラガラシ川に合流するウガラ川以外は、ほとんど水が干上がってしまうのです。このような環境で、チンパンジーはどのようにして水分を確保しているのでしょう。同じタンザニア西部のチンパンジー生息地でありながら、美しい水が豊富なマハレとは雲泥の差です。



写真2:ウガラ地域で見つけたライオンの足跡。

ウガラは無人地帯なのですが、昔から椅子などの材料になるアンザラーニという植物を採集するために訪れる人々がいます。彼らは木の枝や草を利用してキャンプを作り、数日間滞在して採集活動をおこないます。 以前、彼らが私たちのキャンプの近くに滞在していたことがありました。ある晩、私たちが夕飯を食べていたときに、近くで発砲音が響き渡りました。アンザラーニ採りに同行していた警察官がいたので、彼が携帯していた銃で何か撃ったにちがいない、と私のアシスタントの1人が言いました。5分もしないうちに、アンザラーニ採りの人たちが私たちのキャンプを訪れ、ライオンがこの辺りまで来ているようだから今晩は気をつけろ、とわざわざ忠告してくれました。少し信じられないような気持ちでした。


話を聞いてみると、その仲間の1人が川で水浴びをしていたところ、何か獣が近づいてくる気配を感じたので、少し離れたところにいた他の仲間に、ライトを持ってくるように頼んだそうです。すぐさまその仲間がライトを取りにキャンプへ戻り、警察官と一緒に現場に行きました。そして辺りをライトで照らしたところ、なんと、そこにはライオンがいたそうです。明かりに照らされたライオンは体勢を一度低くしましたが、警察が発砲して威嚇したところ、すぐに逃げていったそうです。私は実物こそ見ていないものの、足跡は何度か確認しています(写真2)。中には、疾走中に急に止まって爪跡が残った躍動的な足跡もあり、リアルな感じが伝わってきます。


このように、疎開林が大部分を占めるウガラには、熱帯雨林よりも肉食獣の数が多そうです。また、地上だけでなく樹上にもヒョウが潜んでいます。そして、もしそれらの獣と遭遇したとしても疎開林は樹間が離れているため、すぐ樹上に避難することはできないでしょう。 乾燥帯に生きるチンパンジーたちは、水の乏しさや肉食獣の危険といった過酷な環境で、どのような生活スタイルを維持しているのでしょうか。今後さらに研究を続けることで、他の地域では見られない、あるいはまだ知られていない数多くの面白い発見があるように思います


(よしかわ みどり JGI−JAPAN)


   


第13号目次に戻る次の記事へ