東アフリカ 野生チンパンジー調査史


日本霊長類学の誕生


 チンパンジーの研究以前、日本人による霊長類研究は1948年12月3日に開始されたと言われています。今西錦司・川村俊蔵・伊谷純一郎の3人が宮崎県幸島へニホンザルの調査に訪れました。
宮崎県幸島―最も古いニホンザルの調査地である

アフリカへ


 ニホンザルの研究が開始してから10年経った1958年2月、今西と伊谷はアフリカへ旅立ちました。ニホンザルよりもヒトに近い類人猿の調査をするためでした。当初はチンパンジーではなくウガンダのゴリラを対象とする予定でしたが、内戦などの影響でタンザニアのチンパンジーにシフトすることになりました。
初期の頃の西部タンザニアでのチンパンジー調査地

タンザニアでの大規模調査


 1961年からは、文部省の資金を受けて京都大学類人猿学術調査隊が開始されました。マハレの北70キロほどにあるカボゴに最初に基地が建設されました。日本から送った研究資材が20数トンに及ぶという大規模なものでした。基地を建てる技師まで日本から連れていったそうです。
1962年4月19日 朝日新聞

3つの調査地で


 今西が京都大学から退官したのに伴って、1965年からは伊谷が調査隊の隊長を引き継ぎました。この年から伊谷の3人の学生がそれぞれ3つの場所で調査を展開しました。すでに1963年から調査がなされていたカサカティを伊沢紘生が継続し、それに加えてフィラバンガを加納隆至が、そしてマハレのカソジェ地域を西田利貞が担当することになりました。
1965年に大阪国際空港を出発する際の西田・加納・伊谷


カサカティ基地―中央は伊谷


カサカティ基地にて―左から西田・加納・伊谷・伊沢


西田が最初にマハレに入った際のボート

マハレでの調査開始


 1965年10月にマハレに入った西田は、1966年にK集団というチンパンジー集団の餌づけに成功します。1968年には隣のM集団の餌づけにも成功しました。以降、西田以外にも多くの研究者や学生が参加することでマハレでの50年にわたる長期研究が続けられてきたのです。
西田が調査を開始した頃のカンシアナキャンプ


餌場に出てきたK集団のチンパンジー


1966年9月9日 朝日新聞


文責:中村美知夫