第42回 プリムス

紹介者 保坂 和彦


 1991 年8 月、初のマハレ調査に入った私が見たプリムスはまだ生後3 か月の赤ちゃんでした。母親ピンキーには、オパールといういつも一緒に歩く友だちがいました。このオパールにも、生後2 か月の息子オリオンがいました。当時のプリムスとオリオンは、木の枝にぶら下がって蹴りっこ遊びをするなど、一番の遊び仲間でした。ちなみに、プリムスという名前は、キゴマを通過する日本人研究者に親しまれていたブルンジ産ビールの銘柄にちなんでいます。
 プリムスは、2 歳だった1993 年に命を落としかけました。9 月末〜 10 月上旬に呼吸器感染症が流行し、12 頭が死亡・消失しました。ある日、私は、プリムスが調査道の上に大の字に倒れ込んだまま、苦しそうに荒くて速い呼吸を繰り返しているのを見つけました。近くの斜面の木を見ると、枝の上に座るピンキーが幹に寄りかかり、朦朧とした様子です。私はこのままではプリムスは放置されて死んでしまうのではないかと心配しました。しかし、幸い2 頭とも生き延びてくれました。
 ワカモノ期のプリムスは、大胆で上昇志向が感じられる雄でした。集団狩猟中、樹上を駆け登り、オトナのチンパンジーでさえ近づけないオトナ雄のアカコロブスに果敢に挑戦するのを見たことがあります(撃退されましたが…)。また、顔や振る舞いがかつての高順位雄トシボ(1976–1995)にそっくりになり、彼の忘れ形見と思われました。
 2011 年10 月2 日、当時20 歳のベータ雄だったプリムスに、思わぬ形でアルファの地位が舞い込んできました。その日、当時のアルファ雄ピムが仲間の雄たちから2 時間超の集団攻撃に遭い死亡してしまいました(マハレ珍聞19 号参照)。プリムス自身は直前に現場を離れて集団攻撃には加わっておらず、気づいたら自分が最高位になっていたということのようです。
 プリムスは、約8 年間、小柄な身体にもかかわらず、強いアルファ雄として君臨しました。その間、強烈な印象を残した事件は2015 年8 月のカニバリズムです。朝、カシハの河原を上流側から突進ディスプレイをしながらやってきたプリムスの手には臍の緒が残る雄の嬰児の死体がありました。周囲の雌たちが避難した木の上から激しく吠えたてて異常な雰囲気に包まれました。彼はかまわずこの死体を一人で食べ始め、最後にわずかに残った毛皮の一部だけ、妹のパフィーに与えました(写真1)。これもアルファ雄の力の示し方なのかと嘆息するしかありませんでした。


写真1 カニバリズム直後のプリムス(中央)。口には食べきった死体の一部が残る。覗き込む妹パフィーは息子ピースを抱いている。左端は発情雌クーピー。(2015 年8 月20 日、保坂撮影)



 2023 年8 月、コロナ禍を挟んで4 年ぶりに会ったプリムスは、随分と雰囲気が違っていました。失脚して3 年半が経過し、すっかり低順位が板についていました。私が驚いたのは、母を失って間もない3 歳雄ヌルに対して、プリムスが毛づくろいや運搬、果実分配、救済などのアロマザリング(母親以外の個体が子の世話をすること)をしたことです(写真2)。ヌルが最も頼りにしていたのはオリオンでしたが、アロマザリングする個体や内容はさまざまで、この話がどのように展開するかは今後の研究を待つ必要があります。ともあれ、アルファ雄時代のプリムスの姿と、好好爺のようになった今の姿が非常に対照的で面白いです。どちらの姿もチンパンジーの本質を反映しており、それが何なのか考えることこそ、観察者としての責任であり魅力でもあると感じています。



写真2 3 歳の孤児雄ヌルへの毛づくろい中、手を休めるプリムス(右)。向こう側で自分を毛づくろいする雌はテト。(2023 年8 月28 日、保坂撮影)



(ほさか かずひこ・鎌倉女子大学)




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