シラミで築こう、人のきずな

座馬耕一郎

 チンパンジーの毛づくろいは親和的な行動です。母が子に毛づくろいするのを見ると母親の愛情を感じ、ケンカ後など腹の中で何を考えているか分からないときもありますが、それでも毛づくろいで仲直りしたりしています。しかしおもしろいのは、そんな親和的な毛づくろいでも、いつもシラミ(らしきもの)を取っていることです。

 私は毛づくろいで除去される物に注目して研究しています。観察して分かったことは、枯葉の屑や粘着性のある種子など、私だったら取りたくなるようなゴミを、チンパンジーはあまり取ってないということです。遠くから観察していても見える大きなゴミを取らずに、よく見えない小さなものを摘んだり口にくわえたりしています。あるとき、毛づくろい後に葉をちぎって口につけるというリーフ・グルーミング行動を観察し、葉にシラミが残されているのを見つけました。大きさは3ミリ以下。彼らの取るもののほとんどがこの小さなシラミだろうと推測しています。チンパンジーは毛をかき分けるとき、ほとんどいつもかき分け部分を見ており、シラミを探しているようです。そう考えると、毛づくろいの親和性はシラミ抜きでは語れない、と思えてきます。

 以前、タンザニアの村の子どもたちが毛づくろいしているのを見ました。頭に違和感を感じた子が、自分の手を頭にやるがどうすることもできず、年長の子に頭をあずけていました。年長の子はすぐにシラミ(らしきもの)をつまみ上げ、その子に見せていました。ほのぼのとした風景でした。自分を清潔にするだけなのに、自分ひとりでは達成できず、他人を必要とする、それが毛づくろいが親和的な行動である理由だと思います。そして、そのとき、かならず身体接触があります。

 今の子どもは、身体接触が嫌いなように思えます。親子や友人間で身体接触をともなうコミュニケーションが欠如していることが、現代の若者の殺伐とした人間関係の原因ではないかと思うことがあります。だけど必要もないのに触られるほど気持ちの悪いことはない。そこでタイトルにある提言。皆がシラミを持てば、必然的に他人を必要とする気持ちが強くなり、ふれあい、きずなが強くなるのではないでしょうか。今の世の中お金さえあれば一人で生きていくことができ他人を必要に思う気持ちが薄くなっていますが、シラミで一発解決です(?)。

 もちろんこれは公衆衛生上不適切な発言であり冗談です。が、チンパンジーやタンザニアの村の和気藹々とした子どもたちのことを思うと、あながち的外れでもないかもと思ったりします。

(ざんま こういちろう、京都大学霊長類研究所)




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