Pan Africa News 10(2) の記事から

4キロやせて得た知識 (by フランス・ドゥヴァール) オリジナルの英文記事へ
本文1〜3ページに掲載。

ピグミーチンパンジー・ワークショップ・2003より

はじめに:ピグミーチンパンジー研究の再開と保全に向けて (by 古市剛史) オリジナルの英文記事へ
コンゴ民主共和国の内戦が治まりかけ、ピグミーチンパンジーの野外研究が再開されている。内戦中、兵士や戦闘を避け森に逃げ込んだ村人に、ピグミーチンパンジーは食物として狩猟されて数を減らし、さらに広大な森林が商業伐採されている。また、類人猿の進化の謎を解くにはピグミーチンパンジーの研究が不可欠である。これらの現状から、保全と調査が再開に向けた重要課題であろう。


コンゴ民主共和国、ルクルにおける野外調査 (by ジョ・トンプソン、ムヴラ・ロンバ・ツィナツィナ) オリジナルの英文記事へ
ルクルはピグミーチンパンジーの生息地の南限(南緯4度)、コンゴ盆地の南の縁に位置し、森と草原がモザイク状に広がる起伏の激しい土地である。1992年からはじめられたプロジェクトでは、草原にも現れるピグミーチンパンジーの生態や分布の調査とともに、環境保護権の獲得、材木会社へ生物多様性について啓蒙活動など人に対する活動や保全をおこなってきた。今後はピグミーチンパンジーの保全を確立するとともに、保護区の近くで生活している地域住民の発展に力をいれたいと考えている。


サロンガ国立公園でピグミーチンパンジーを保護する (by ゲイ・E・レイナーツ) オリジナルの英文記事へ
1997年10月に、ミルウオーキー動物園協会は、北サロンガの東北部へ調査隊を送り、4カ所ピグミーチンパンジーの生息を確認した。一方、43もの密猟キャンプも発見した。コンゴ内戦終了後は、エタテという場所に基地を作り、レンジャーに給料を支払うとともに、パトロール、ピグミーチンパンジーの分布調査、動植物調査などをおこなっている。


ルイ・コタル−サロンガ国立公園におけるピグミーチンパンジーの新しい研究サイト (by ゴットフリート・ホ−マン、バーバラ・フルート) オリジナルの英文記事へ
マックス・プランク研究所のチームは、2000年からサロンガの探索をはじめた。2002年2月には、南部サロンガの西部、ロコロ川の南のルイ・コタルに、研究基地を設営した。森林−サバンナのモザイク地域で、ロマコと比べると植物相、動物相とも多様性が高い。2003年5月以降は、地上でピグミーチンパンジーを追跡しはじめ、数時間も追跡できることがある。


サロンガ国立公園の野外調査 (by ジョ・トンプソン、チョボ・マスンダ、イロンガ・ジェマ・ウィリー、ムヴラ・ロンバ・ツィナツィナ) オリジナルの英文記事へ
1997年以来、ルクル・プロジェクト・チームは、南部サロンガで野外調査をおこない、1998年にはピグミーチンパンジーを含むほ乳類相を調べた。南部サロンガには、他の民族の文化的影響をほとんど受けていないヤリマという人口800人の小民族が住んでおり、野外調査は彼らをパートナーとしておこなわれている。ヤリマは、バンツー民族の最初の大移動以来、かの地に住みついているという。


トゥンバ湖周辺で確認されたピグミーチンパンジー個体群 (by ンドゥンダ・ムワンザ、ムバンギ・ムラヴウァ、イホミ・モラ、クムゴ・ヤンゴゼネ) オリジナルの英文記事へ
トゥンバ湖周辺でピグミーチンパンジーの生息調査と地域住民の意識調査を2002年に3ヶ月間おこなった。26人に中24人がピグミーチンパンジーを食べた経験があった。この習慣はほかの民族から学んだという。しかし彼らは今後この習慣をやめると約束した。このような人の影響を受けている地域だが、ピグミーチンパンジーのベッドを294個発見し、直接観察は383分できた。今回、生息が確認できたが、まだ、狩猟や商業伐採の危険が残されている。


ルオー学術保護区、ワンバにおけるピグミーチンパンジー研究の再開 (by 古市剛史、ンドゥンダ・ムワンザ) オリジナルの英文記事へ
1996年の1998年の2度の内戦中、ワンバにおける長期調査は中断していた。その間、兵士により1頭のピグミーチンパンジーが狩猟されたが、予想以上によい状態のままだった。長く調査者が入っていなかったが、ピグミーチンパンジーは人を恐れず、朝から晩まで追跡調査できた。現在、ピグミーチンパンジーの生態と植生を調査を続け、また地域社会のインフラ再建を支援している。



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