第6回 タンザニアを載せて駆ける
〜中央鉄道の旅②〜

島田将喜

 

(承前)
 翌朝8 時にドドマに到着。タンザニアの「本当の」首都とされるこの街でしばらく停車します。車窓の外から聞こえてくる人々の喧噪で目が覚めました。すでに標高1000m を超える台地に入っているため赤道直下とはいえ夜はとても冷え込みます。出発直後のうだるような暑さの海沿いの街ダルエスサラームで、車掌たちが各部屋に配給して回っていた毛布やシーツや乗客たちの綿入りのコートはいったい何に使うのかと思っていたのですが、夜を明かしてみて絶対に必要な物だったと気づかされました。毛布にもぐりこんでしまうと、夜は意外なほど静かで快適に眠ることができました。アルコールも入っていたせいもあるとは思いますが、ただ体を横たえてぐっすり眠れるという点では、我が「ファーストクラス」のベッドは十分な機能を果たしていると感じました。

 旅の道連れとなった同室の少女サダの朝食をビュッフェのスタッフが運んできました。いいサービスだなと思うけれど、狭い車内が一層込み合って大混乱です。私はホームに降りて、大勢の乗客と一緒にチャイにチャパティをおしゃべりしながら食べて一息つきました。どこの停車駅でも、そこにはその土地の物産が集まっていて人々が売り買いをしています。ワインの産地だけあってドドマではブドウが安くておいしいので、多めに買ってサダと分け合って食べました。ちなみにもう一人同室の道連れとなったはずの盲目のウィルソン老人は、どうやら夜通し飲んでいたようで、朝になっても姿が見えません。

 列車は大小複数の停車駅に、何度も停車します。そのたびに窓の外から、「マヒンディ!マヒンディ!(トウモロコシ)」「ミワ!(サトウキビ)」と大きな掛け声が盛んに聞こえてきます。乗客たちも窓越しにそれに応じて「ベイガーニ?(いくら?)」という声が返されます(写真1)。車両のどこかで警官と誰かが大声を張り上げて喧嘩しているのが聞こえてきます。レストランカーでビールを飲んでいると、ボンゴ・フレイバーと呼ばれるノリのよい陽気な音楽を大音量でかけている男が自分の大きなラジオを指さして「中国製はいい。安いし、壊れてもすぐ修理ができる。部品が出回っているからね」と大声で日本人の私に話しかけます。人々の声、ラジオの音、列車の動力の音。喧噪がすべて混ざり合って、列車の旅は続きます。天井の壊れた扇風機が不規則に送ってくる風も心地よく感じます。


写真1 TRLの機関車



 目を凝らしてみても、車窓からはとくに目立つ野生の動物が見えるわけではありません。丈の低いアカシアが密にしげった乾燥した大地がどこまでも続きます。車窓の景色のわずかな変化は私には面白く、ビールも進みます。起伏の多い広大な乾いた大地にバオバブの大木がまばらに生えています。線路は起伏を縫うように敷かれており、右へ左へと大きなカーブを繰り返します。私の乗車した後ろよりの車両からは、前方の車両があらわになるのはそういうときで、美しい夕日の沈みゆく原野に向かって突進してゆく機関車は何とも言えず力強く美しいと感じました(写真2)。


写真1 TRLの機関車



 深夜にタンザニアの中西部に位置する都市タボラの駅に入り、そこで列車はずいぶん長い時間停車します。ベッド越しに感じるわずかな列車の振動からは客車の切り離しや並べ替え作業が行われているのを感じます。東部から旅を共にしてきた多くの人々がここで降車し、また新しい乗客が乗り込んできます。深夜だというのに相変わらずすごい熱気です。目の覚めてしまった私も暇つぶしにホームに降りて食事をとり、部屋にもどってみると盲目のウィルソン老人とサダは下段のベッドですでに寝息を立てていました。私は彼らを踏んづけないように、はしごのない二段ベッドの上段に登ってまた深い眠りに落ちました。

 三日目の朝、目覚めて外を見ると昨日までのアカシアの荒野とは植生が大きく異なっていることに気がつきました。私たちマハレのチンパンジー研究者にとってなじみ深いミオンボ疎開林と呼ばれる森です。鉄道沿線では大きな焼畑や、大規模な牛の放牧がおこなわれ、またアブラヤシのプランテーションもちらほらみえます。列車はやたらに警笛をならすようになりました。放牧された牛の群れが線路内に入ってきているためです。どの村を通過するときにも、数人の子どもたちが列車と並走しながら大声を出しています。

 炎天下の昼の13 時、終点キゴマの駅が近づき、列車は減速します。あきれたことに乗客の中にはダルエスサラームから運んできた大きな荷物をどんどん外に放り投げている者がいます。沿線上に仲間がいて、なにやら携帯電話でやりとりをしながら回収させているようです。やがて駅に着くと、大勢の乗客は旅の余韻など一切残さずに炎天下のキゴマの街に三々五々散らばってゆきます。私もすっかり仲良くなったウィルソン老人とサダに軽く挨拶をすませて、荷物を引きずりながらこれからキゴマで待ち構えているであろうトラブルやチンパンジー調査のための準備に頭を切り替えて、見慣れたキゴマの駅を後にしました。

 TRL の旅を私なりにひとことで表現すれば、「『タンザニア』をギューッと狭い車両に押し込めるとこうなる」とでもなりましょうか。35 時間で東西を結ぶという話でしたが、今回の旅では44 時間かかりました。また二人乗りのはずのファーストクラスに三人押し込められたりもしました。トイレにはもちろん紙の備え付けなどありません。多くの日本人がイメージする「寝台列車ファーストクラスの旅」とは程遠いけれど、こうしたいかにもタンザニアらしい旅のスタイルにストレスを感じず、むしろ面白がれる方にはおすすめの旅です。

(しまだ まさき 帝京科学大学)



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