第19回 ンコンボ

紹介者 保坂 和彦

 

 ンコンボは、マハレの調査史において誕生年から継続観察された経歴が最も長い雌のチンパンジーです。1970年にK集団に生まれ、11歳でM集団に移籍し、滞在期間は30年を超えました。 カルンデをはじめとするオトナ雄を追跡調査してきた私には、ンコンボといえば、いつも雄と一緒に歩きたがる甘えん坊のおばさんでした。90年代前半のンコンボのお気に入りはカルンデやンサバといった中核的な雄でした。雄の前を歩きながら、振り返り振り返り、「クウェッ…クウェッ」とパントグラントの変形でしょうが、分類不能なンコンボ語を発していた姿が何だか滑稽でした。ンサバはじつは彼女の姉の子、つまり甥っ子にあたりますが、それを認識していたかどうかは不明です。ンコンボが移入した頃にはンサバのコドモ期はほぼ終わっていて、姉の育児はほぼ見ていないためです。


ンコンボ(2009年9月、撮影 保坂和彦)


 雄と毛づくろいすることの多いンコンボでしたが、発情すると今ひとつ人気がありませんでした。子が産めないのかと思っていたところ、1993年7月に突然、雄の赤ちゃんを抱えて現れました。残念ながら、この赤ちゃんは3ヶ月半で病死してしまいました。目を見開いたまま死んでいる赤ちゃんを片手で抱えるンコンボの様子はいつもと変わらず、事態に気づいていないようにすら見えました。

 しかし、それから3,4日で雰囲気が変わりました。いつもなら一緒にいてくれるンサバがンコンボを避け始めたのです。原因はンコンボが運ぶ子の死体でした。腐敗した体液が滲出して耐え難い悪臭を放っていました。ンコンボが近寄ると、ンサバはハエが大量にたかり悪臭漂う死体を見つめ、避けるように移動する。ンコンボは慌ててンサバを追う。こういうことを繰り返しているうちにンコンボは興奮してきて、ハエの群れに突進したり、ワカモノ雄を八つ当たり気味に威嚇したり、最後には、森に響き渡るほど叫び声を上げて半狂乱のようになりました。6日目には、ハエが群がる死体を地面に置いて遠目に見つめているンコンボの姿を確認しました。けっきょく、7日目に死体を放棄したンコンボは、元通り、雄に追随する日常を取り戻しました。

 1996年頃から、トラッカーたちはンコンボをカルンデのmke(妻)と呼ぶようになりました。もともとカルンデとは親密でしたが、どちらかというと、忙しいカルンデにンコンボが追随する片思いに見えました。それが相思相愛(?)、カルンデもンコンボの動きを気にしながら一緒に歩く場面が増えました。2頭が子どものように遊ぶことさえ増えました。チンパンジーの特定の雄雌ペアがこのような緊密な関係になるのは異例のことです。面白いのは、ンコンボが発情してもカルンデはあまり関心がないこと。私が観察した範囲では、他の発情雌を熱心に追いかける「夫」にンコンボは寛容でした。

 他のチンパンジーはこの関係をどう見ているのでしょう? カルンデの「妻」であることは、彼女の生活に何か影響しているのでしょうか? 他の研究者と少しずつデータを掘り起こして明らかにしていきたい話です。

(ほさか かずひこ 鎌倉女子大学)





第19号目次に戻る次の記事へ