アルファオス、仲間に殺される

井上 紗奈


 野生のチンパンジーは、厳しい自然環境の中で生きています。調査を続けていれば、私もいつかは誰かの死と向き合うことになるだろうと考えていましたが、まさかそれが若いアルファオスのピム、しかも群れの仲間に殺されるという形で遭遇するとは考えてもいませんでした。


威風堂々の在りし日のピム(撮影 井上紗奈)


 事件当日は、日曜日で調査アシスタントが皆村に帰ったため、私と、同じく滞在していたケント大学の学生ステファノ・カブル氏は調査を休んでいました。データ整理が一段落し、そろそろお昼にしようかというころ、事件現場に居合わせた観光キャンプのトラッカーが血相を変えてやってきました。とにかくピムが大変なんだ、急いできてくれと言われ慌てて駆け付けましたが、残念ながらちょうどピムが息を引き取ったところでした。

 ピムと第2位のオス、プリムスは、順位が近いため、お互いにけん制しあう仲です。それでも、ピムの力は圧倒的で、プリムスはピムのディスプレイ(示威行動)にも劣位を示す挨拶をしていました。ただ、事件の起きた日は午前中すでに、ピムがプリムスに攻撃をしかけプリムスが挨拶する、一連のやりとりを2回繰り返していました。そして3回目にピムがプリムスを攻撃したとき、プリムスは反撃し、激しい取っ組み合いとなりました。その結果、ピムとプリムスはお互いに大けがを負ったのです。プリムスは助けを求めるかのように、少し離れたところにいたオスたちの方へワオワオと警告の発声をしつつ走って行き、そのままどこかへ去りました。一方騒ぎを聞きつけたオスたちは、顔から血を流しているピムに気づくと攻撃し始めました。攻撃の中心となったアロフとカルンデは、他のオスたちの背を押したり威嚇するなどして攻撃に参加するよう仕向けるなど、老獪に立ち回りました。ピムは反撃しましたが、逃げようにもオスたちに囲まれ身動きが取れず、劣勢となりました。最初のけんかで負った怪我の影響も大きかったからか、数十分後にはすでに立ちあがれなくなっていたようです。結局、最後までピムを守ろうとしたダーウィンの健闘むなしく、ピムは息を引き取りました。(このエピソードは、事件の目撃者への聞き取り調査と、撮影されたビデオの分析データを基にしています。)

 今回私は、9月半ばからマハレに滞在していました。この時期は、いつもなら雨季の始まりで雨が降り、主食となる果実が実り始めるはずなのですが、この時は様子が違い、雨がほとんど降らず果実の実りも遅い、チンパンジーたちにとっても、彼らを追う我々調査隊にとっても厳しい日々がつづいていました。食べ物があまり手に入らないせいか、他のチンパンジーたちの毛艶が悪いなか、アルファオスのピムだけは、毛もつやつやとしており、堂々としていました。そんな美しく若くてけんかも強いピムが、まさか殺されるとは・・。目の前に横たわるピムは毛がぼさぼさで、体のあちこちに傷を負っており、つい数時間前の立派な姿が嘘のようでした。

 この突然のピムの死は、我々調査隊に衝撃をあたえました。奇しくも、事件の起きた2011年10月2日は、日本で西田先生を偲ぶ会が開かれた日でもあります。立て続けにヒトとチンパンジーのリーダーを失うとは、何かの因縁を感じずにはいられません。死んだピムの近くの木の上には、ダーウィンがピムを見降ろすように座っていました。チンパンジーが死を悼むかは定かではありませんが、小雨が降る中じっと動かないその物悲しげ姿が目に焼き付いています。

 群れのその後ですが、事件を扇動したアロフの天下は、事件以降姿を消していたプリムスが群れに合流したことにより数日で終わりを告げました。戻ったとはいえプリムスはアロフを圧倒するまでには至らず、私の滞在中にはまだ両者が張り合っていましたが、その後、徐々にプリムスが優位になったようです。このままプリムスの天下となるのか、それとも他のオスがアルファの座を狙うのか、群れの行く末を見守りたいと考えています。


事件の連絡から移動の手配、調査協力まで、観光キャンプであるカングェナの人々の全面的なサポートがありました。この場を借りて感謝の意を表します。

(いのうえ さな 林原類人猿研究センター)



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