第13回 アビ

紹介者 西田利貞

   


左下トシボ(7歳3ヶ月)、右ワソボンゴ、顔を少しのぞかせているのがアビ(2歳ちょうど)。


  ワソボンゴと名づけた雌を識別したのは1973年のことで、すでに5歳くらいの息子カサンガジと一緒だった。彼を最初の子どもとし、15歳で生んだと仮定して当時20歳と推定した。1976年には次男トシボを出産した。私はこの頃はKグループをおもに見ていた。ワソボンゴ一家を追跡し始めたのは1981年からである。ワソボンゴは、私の知っている最も人なれしたチンパンジーだった。Kグループのチャウシクは同じくらい慣れていたが、あまり近づくと私に吠えかかることがあった。しかし、ワソボンゴはまったくそんな素振りは見せなかった。

1981年はMグループ全体の個体識別がやっと終わった時期で、カンシアナでの餌づけは続いていた。アビが生まれたのは1982年1月で、生まれたときから人との接触は日常的だった。そのうえ、母親が人を恐れなかったので、アビもまったくわれわれを怖がらなかった。

  私がときどきアビを注意して観察するようになったのは、1989年6月にワソボンゴが亡くなった後からである。孤児になったアビはトシボを頼りに追従した。しかし、トシボはついてくるのを許すだけで、ほとんど妹の世話をしなかった。アビはトシボを毛づくろいするが、お返しをするのはたまにしかなかった。しかし、不思議なことに、毛並みが悪くなることもなく、アビは無事に成長した。アビは脚がスラリと長く、青年期に達すると、(人間の間であるが)マハレきっての美人として評判になった。

嫁に出すのはもったいないと思っていたら、本当に婚出しなかった。その理由は、2人の兄貴が消えたこととは関係なさそうである。というのは、ほぼ同齢のトッツィーもアコも婚出しなかったからである。彼らが年頃になったのが、急激にMグループのサイズが小さくなり、また大人の雌と比較して大人の雄の割合が大きかった時期と重なっている。採食競争が緩やかになり、配偶相手の雄も比較的多かったわけである。

   


左:アビ(13歳)と右:トシボ(19歳)。
     

アビはお兄さんのトシボと同様、ハンティングが得意で、ファトゥマとともに最もよくサルを捕まえる雌の一人である。捕まえると、大人の雄が横取りに来るが、アビはなかなか要領がよく、盗まれはしなかった。雄の第二位まで昇進したトシボのお陰で、高順位の雌になるかとおもったが、彼女は低い順位のままであった。アビは2人の子どもにも恵まれ、いまや30歳に近くなった。昔はあまり似ていないと思っていたが、最近は母親の面影とそっくりのときがあり、はっとすることがある。 

(にしだ としさだ (財)日本モンキーセンター)



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