マハレ50周年記念展・公開シンポジウム 「野生チンパンジー学の50年」
マハレ50周年記念展・公開シンポジウム

「野生チンパンジー学の50年」講演要旨集


第一部 チンパンジーを追い続けた半世紀


司会 長谷川 寿一(東京大学大学院総合文化研究科)


「チンパンジー学の黎明期」

伊沢 紘生(宮城のサル調査会)

 1948年に日本にサル学が誕生して以来、ニホンザル研究を牽引したのが今西と伊谷の両巨人だったことは衆知の事実である。ちょうどその10年後に開始されたアフリカでの類人猿学(1961 年からチンパンジー学)を牽引したのも、同じく両巨人だった。
 1958年からの3度にわたる予備調査のあと、京都大学学術調査隊が組織され、東アフリカのタンザニアでチンパンジー学が本格的に開始されたのは1961 年のことだ。隊長はもちろん今西である。そして1965年からは今西の定年退官によって隊長が伊谷に代わる。その後調査隊は1967年の第6次まで続き、翌1968年の過度期を経て、調査のあり方そのものが大きく変貌する。すなわち、研究テーマを絞り込んで文部省科学研究費補助金を少人数の研究者グループが申請するという、現在に至る形式になった。
 演者がチンパンジー調査に関わったのは、1963 年の第2次隊から1967 年の第6次隊までで、調査地でいえばタンガニイカ湖東岸のカボゴ(ムクユ)、カサカティ(イティティエ)、フィラバンガ、カソゲ(マハレ)であり、今西隊長と伊谷隊長の両方に跨る期間だった。その間、隊の組み立て方はもちろん、両巨人の当時の学問的最大関心事の違いや、それを反映したチンパンジー調査の最優先事項の違いやアプローチの仕方の違いなどが、戦後の混乱・困窮から高度経済成長へと向かう日本の激動の時代背景の中で複雑に絡み合い、ある意味で演者を翻弄することになるのだが、だからこそ、演者にとってはあまりにも鮮烈な青春の5年間だった。
 ここではそれらについて、エピソードを中心にいくつか話をすることにしたい。

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「創設期が過ぎ、調査が“日常”になり始めていた頃」

高畑 由起夫(関西学院大学総合政策学部)

 私がマハレで過ごした日々(1979〜1984年)を思い起こせば、それは「グドーが全力をあげてチンパンジーに取り組んだように、我々は全力をあげてアフリカに取り組んだのだ」という高揚感に充ちた創成期が過ぎ、我々にとっても、チンパンジーにとっても“調査”が“日常”になり始めた時期と言えるだろう。同時にそれは、クラシックなサル学が終わり、社会生物学等が勃興する時とも重なっていた。
 さて、長期調査が続くフィールドでの(かつての)短期間の経験をどう位置づけるべきか、ためらいがないわけではない。自分の観察はその後に蓄積される無数のデータに埋もれてしまうものなのか? それとも、(めったに起こらないがゆえに)物事の本質を垣間見せてくれた至福の瞬間だったのか? あるいは、時の流れととも変わり続ける不可逆的な現象なのか?
 そんな日々をいまさら回顧することに、何か意味があるのか? そんな思いを引きずりながら、しかし、ひょっとしたら、若い方々に何がしかのヒントを与えることができるかもしれない。傑出したαオスだったトロギ(調査期間のすべてを彼につきあったことが、研究者として幸福だったかどうかは、さておいて)、そしてK集団に独り取り残され、やせこけたマシサ、彼らを中心にかつての日々を振り返りたい。

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「マハレでのチンパンジー研究の50年―長期研究で明らかになったもの―」

中村 美知夫(京都大学野生動物研究センター)

 「人生50年」と言われる時代もあった。
 タンザニア、マハレ山塊でのチンパンジー研究は今年で50年を迎え、かつての人の一生と匹敵するほどの時の流れを経験してきたことになる。この間、多くの研究者がマハレにやってきて、そして去っていった。マハレで初期の頃から研究を支えてきた西田利貞・川中健二・上原重男の3名はすでにこの世にいない。一方で、今年から新たにチンパンジーの研究を始めた学生もいる。
 なぜ研究者たちは50年もの間チンパンジーの調査を続けてきたのだろうか?そしてどうして今もなお、マハレに行き続けるのだろうか?
 それは、一つには、チンパンジーという生き物がじつに魅力的だからである。一頭一頭名前の付いたチンパンジーたちは、私たち研究者にとって、たんなる「研究対象」ではない。遠くに暮らす旧友、久しぶりに会ってその成長ぶりに驚く親戚の子供―そんなふうな、懐かしく愛すべき「仲間」でもあるのだ。
 そして、長期研究の継続にはもちろん、学術的な意味と知的好奇心を満たしてくれる「発見」が不可欠である。そんな中には、地道に長期間データを積み重ねて初めてできる「発見」もある。野生下で50年以上生きるチンパンジーがけっこういるということも、長期研究の中で明らかになってきたことだ。本発表では、マハレでの50年間のチンパンジー研究を簡単に振り返り、とくに長期調査が続けられてきたからこそ明らかになったことを中心に紹介したい。

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第2部 次の50年を見据えて


司会 早木 仁成(神戸学院大学人文学部)


「見えないヒョウを見る―痕跡と写真からのスタート―」

仲澤 伸子(京都大学野生動物研究センター・博士後期課程)

 ヒョウは、マハレのM集団チンパンジーが利用する地域に常時生息している最も大型の捕食者であり、チンパンジーの捕食者となりうるため、当初からチンパンジー研究者にとって気になる存在であった。また、森の食物網の頂点という観点からもヒョウそれ自体が注目すべき動物であった。しかし、その薄明薄暮性で単独性という習性から、めったにその姿を見ることはできない。それゆえわたしがマハレに入るまでヒョウの系統的な調査はおこなわれてこなかった。わたしは大型食肉目の行動や生態に興味を持っていたので、ヒョウがどのような動物を獲物としているのかを調査するため、まずヒョウの糞を拾い集め、糞に含まれる骨や毛を分析している。糞分析を進める過程で、少なくとも1個の糞から「ヒョウがチンパンジーを食べた」という重要な証拠が得られた。さらに、ヒョウの音声研究を始めた大谷ミアさんとともに赤外線センサーカメラが森で自動撮影した動物の画像・動画を分析している。これにより、マハレでほとんど観察されたことのない、サーバルキャットやブチハイエナといった動物の生息の確認ができ、さらに識別された7頭のヒョウの行動範囲や活動時間帯が明らかになりつつある。これまでの研究の成果とマハレでのヒョウ研究の今後の展望を概観したい。

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「『新入り』が感じたチンパンジー調査の魅力―私に回ったアフリカの毒―」

松本 卓也(京都大学大学院理学研究科人類進化論研究室・博士後期課程)

 アフリカの毒、という言葉がある。かつてフィールドワークのためにアフリカを訪れた研究者たちが、アフリカに魅せられ、再び戻って調査をしたいと思ってしまう様子を、毒に例えたものだ。その点で言えば、私はすっかりアフリカの毒にやられてしまった者の一人に数えられるだろう。
 私は2010年から、すでに45年近い蓄積のある調査地の「新入り」として、合計2年近くをマハレ山塊国立公園のキャンプで過ごした。私の見てきたアフリカは、先人たちの書き記したフィールドワークの啓蒙書にあるような、植民地からの独立を標榜したかつての動乱のアフリカほど、若々しい力に溢れたものではないかもしれない。また、チンパンジーの行動について、わかっていないことは調査当初よりも少なくなったかもしれない。しかしそれでも、調査を長く続けるからこそ、新しいかたちのタンザニアの人々との付き合いがあり、また、新しく観察されるチンパンジーの行動があると私は思っている。そんな私に回った「アフリカの毒」を、写真や映像を多く使い、最新の調査風景やチンパンジーの映像、地元トングウェの人たちとの交流なども交えながら、紹介したい。

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「日本の類人猿学の挑戦―人類誕生の地アフリカで見えてきたこと―」

山極 寿一(京都大学総長)

 日本の類人猿研究の先駆けとして今西錦司と伊谷純一郎がアフリカの地を踏んだのは1958年、その主要テーマは「家族の起源」だった。最初に手がけたのはヴィルンガ火山群のマウンテンゴリラ、そしてコンゴ動乱の影響を受けて、タンガニーカ湖畔のチンパンジーへと対象を移した。調査が進むにつれて研究テーマは道具使用や食物分配などの行動に移っていったが、1960年代の後半にマヘレ基地を再訪した伊谷が調査を続けていた西田利貞に向かって、タンガニーカ湖の船の上から「家族は見つかったか?」と叫んだ話は有名だ。西田は、「家族はありません」と答え、このテーマは類人猿研究からいったん姿を消した。しかし、これらのパイオニアたちが一貫して、人間社会の起源を類人猿学の最も重要なテーマと考えていたことは心に留めておくべきことだろうと思う。その後、欧米の霊長類学者たちと先陣争いを演じながら、ボノボ研究の最前線で活躍し、チンパンジー研究でも常に世界の注目を浴びる成果を出してきた。私も遅ればせながらゴリラ研究に参加し、ゴリラとチンパンジーの共存域を中心にフィールド調査を重ねてきた。そこで強い印象を持ったのは、両種は同じような生態的特徴をもちながら、なぜこれほど異なる社会を進化させたのかということである。そこに人類をからめると思いがけない進化のシナリオが見えてくる。この50年、各地で野生類人猿の暮らしに関する膨大な資料が蓄積されてきた。そろそろ初期の問いに立ち返り、人類の社会進化を解き明かすことを目指してもいいのではないかと思うのだが、若い世代はどう感じているのだろう。そのきっかけとなる話しをしようと思う。

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